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162)何故再訪? ―体験と経験―

 最近の私の異文化ブログには?再訪が多いのに気づきました。例えば153)「ロマンティック街道再訪」と138)「ブルックリン再訪」です。過去の思い出の場所再訪ということでは、タイトルに再訪の文字はないものの、134)「スージーとミュスカデ」と113) 「江坂の思い出」も同じジャンルです。

 そこで、どうして再訪ものが多くなったのかを、自分なりに考えてみました。最初に思いついたのは、異文化ブログも100回を超えると、さすがにネタが尽きてきて、再訪もので誤魔化そうかと思った(もちろん無意識で)。でも、週6日間の特養院長と産業医としての医業、空き時間での日英仏の読書、毎朝通勤電車で読む日経朝刊の記事、夜のネットフリックスの番組と、ネタには事欠きません。考え抜いた末に出た結論は、「70年以上生きてきたら、同じような体験をする回数が自然と増えてくる」ということでした。でも、これは同輩の誰にでも起こることです。どうして、同じような体験したことを、わざわざブログで文章化しようとしたのかの理由です。そこのところを、また数日間もう少し深く考えて、やっと結論に至りました。

 それは、医学生時代に好んで読んでいた森有正さんの著作の影響だと思うのです。森さんは、哲学者でプロ級のパイプオルガン奏者でもありました。彼は1950年代に渡仏し、パリの大学で日本文化を教えながら、日本語でエッセイ風の哲学書を多く著します。代表作は「遥かなノートルダム」です。彼の多くの著作で述べられている思想の一つは、体験と経験の違いなのです。簡単に言うと、経験は感想のようなもの(体験)が集積したものではなく、ある根本的な発見があって、ものを見る目そのものが変化し、また見たものの意味がまったく新しくなり、全体の展望が明晰になってくる。このことを本当の経験というのです。

 恐らく、森さんの哲学が私の頭の片隅に残っていて、2024年9月に73歳を迎えた私が昔の思い出の場所を再訪する場面で、同じような体験に際し、それを見る目が変化していると自覚し、それを文章化したくなるのだと思います。認知症に罹患しない限り、肉体がある程度健康で年齢を重ねれば重ねるほど、単なる体験を経験に転化させる機会が増えてくるはずです。このためにも、これからも自らの職業である医師の知識と「経験」を可能な限り生かし、自らの精神と肉体の健康を保ち、生活の中での本物の経験を生み出していこうと思っています。

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木戸友幸
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