29)2005年京都WONCA
2005年に京都で世界の家庭医の学術大会であるWONCAが開催されました。当時開催主催者である日本プライマリ・ケア学会の理事をしていたので、数年前から、かなり綿密な準備をしていました。いろいろな紆余曲折を経て、世界の家庭医事情をプレゼンする大会メインのシンポジウムの日本代表のシンポジストを仰せつかったのです。本来ならば、当時の学会長がこの役割を務めるのですが、会長がさまざまな理由で固辞されて、私にお鉢が回ってきたのです。
これはかなりプレッシャーのかかる仕事でした。数百人の諸外国からの参加者を含めた聴衆の前で、英語でプレゼンをして、その後ディスカッションにも参加しなければならないのです。どういう語り口で、どこに重点を置いて日本の家庭医を語るかはすべて私一人で考えないといけませんでした。一応、国際経験豊富な英語のできる理事と見なされていたので、相談できる相手があまりいなかったのです。機械オンチなので、さすがにパワーポイントの作成はプロに任せました。結果は、ディスカッションでほとんど発言できなかったことを除いては、まずまずの出来だったと思います。このシンポの他にも、日本の家庭医の日常を語る英語でのセッションも任されていました。そちらのほうも、リラックスした雰囲気で、かなり盛り上げることができました。
もう一つWONCAで印象深かった思い出があります。海外からの参加者を関西の家庭医の現場に案内して歓談するという企画で、これも私が提案したものでした。私が受け持ったのは、北欧(スウェーデン、ノルウェー)の家庭医夫婦3組でした。北欧の人たちは英語が達者ですから、私と一緒の時は彼ら同士の会話もすべて英語で通してくれました。会場の京都国際会議場から地下鉄と阪急電車を乗り継いで、木戸医院に向かう途中も、車窓からの関西の風景を説明しながら雰囲気は盛り上がっていきました。
医院に到着し、医院案内をした後、奥の両親の自宅の居間でちょっとしたパーティーをしました。冷蔵庫に発泡酒を冷やしておいて、発泡酒に会うおつまみ類も事前に用意しておいたのです。アルコールも入って、両親も入ったパーティーはいい雰囲気のうちに終了しました。最後は恒例の中庭での記念撮影です。この写真には2013年4月に亡くなった母親も映っています。企画は木戸医院訪問だけで終わった訳ではありません。この企画には、京都の水野先生も賛同してくれていて、彼女の医院にも何人かの海外からの参加者が医院訪問に行っていたのです。夕方から、その京都組と大阪組が合同して、嵐山の料亭で会食することになっていたのです。そこは、水野先生が昔から贔屓にしている料亭で、何と水野先生が勤務する岡田医院(水野先生の父上の岡田先生が開設した医院)からの招待だったのです。料亭で京料理に舌鼓を打ちつつ、京都談義に花を咲かせ、宴会は多いに盛り上がりました。
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