128)ゴルバチョフの死に思うこと
ゴルバチョフ元ソ連大統領が2022年8月30日に死去しました。2022年9月9日の日経朝刊に、Financial Timesからの転載記事「『偉大な国』ロシアの変転」が掲載されたました。この記事では、ソ連最後の大統領かつ共産党書記長を務めたゴルバチョフが、ペレストロイカ(立て直し)とグラスノスチ(情報公開)を提唱したのに反し、プーチンは大国ロシアの再建を目論み、ウクライナ侵攻に悲劇的決断を行ったとしています。ゴルバチョフは2001年にダニエル・ヤーギン(著書「石油の世紀」で有名なエネルギーの専門家で歴史家でもある)のインタビューを受けた際、市民に毎日の生活必需品を行き渡らせることのできなかったソ連政府の無能ぶりを指摘し、そんな政府で働くのは屈辱的だったと吐露したそうです。このコメントは当ブログ110回の「高校時代の異文化体験」で書いた、体育教師の体験談;ソ連へのお土産で一番喜ばれたのはパンストだったというエピソードで非常に腑に落ちました。
さて、ゴルバチョフは当時、西側諸国からは非常に人気があったのですが、1991年ソ連が崩壊してからはロシア人からは、かなり嫌われていたそうです。暗殺未遂も起こっています。大国
ロシアの再興という野望に燃えるプーチンは、ゴルバチョフを嫌ったロシア大衆の世論をバックにして強気で進んでいるわけです。面積ばかりが大きいロシアは、帝政時代から、他のヨーロッパ諸国から真の意味で大国として扱われたことはありません。むしろ粗野で文化程度の低い白人国という扱いだったのです。ですから、プーチンの今回のウクライナ侵攻は、西側諸国のロシアへの積年の偏見に対する復讐とも言えるのではないでしょうか。
ソ連最後の大統領兼共産党書記長のゴルバチョフは、徳川家最後の将軍慶喜と似たところがあるようです。どちらも、国の内部からの崩壊と、外部からの圧力で、誰がトップになろうとも、事態は悪化するばかりということが、振り返ってみればよく分かります。ゴルビーも慶喜も、そういう運命に生まれついてしまい、それでもそれなりの努力をして、なんとか生き延びたのだから、お疲れ様でしたと言うしかないと思います。
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