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リヤド大使館K医務官のその後

 大使館のテニスコートで送別テニス大会をしたK医務官は、次の任地のウィーンへ赴任しました。「いよいよリヤド」の項で書きましたが、彼のことはある筋を通して国立大阪病院時代から知っていました。
彼はもともと小説家志望で、高校生の頃からプロの文筆家について小説技法の勉強をしていたそうです。しかし、医師である親の勧めもあり、大学は文学部ではなく医学部に進んだということのようです。

  医学部を卒業してからは、外科医をしていたそうですが、思うところがあり外務医務官に転向したそうです。外務医務官は時間的な余裕がありますし、さまざまな国でさまざまな体験ができ、小説家としての書く材料が増えるということもあったかも知れません。医務官仲間の文集を見せてもらいましたが、彼が書いたエッセイは確かに表現力が豊かで、その分野での能力の片鱗を伺わせるものでした。

  さてそのK医務官が、1998年に満を持して執筆した著書が「大使館なんていらない」でした。これは、湾岸危機時に日本政府がとった行動を現地の当事者として、痛烈に批判したノンフィクションでした。海部首相や中山外務大臣など、当時の政府関係者のサウジアラビアでの言動や行動をこれでもかこれでもかと言うくらいしつこく批判しています。この本はマスコミの間でもかなりの評判を呼び、そこそこ売れたのではないかと思います。本名で書いていたので、私も一冊買って読みました。もちろん政府批判本を本名で書いたわけですから、彼は外務省を退職せざるを得ませんでした。

  その後、しばらくの間鳴かず飛ばずの期間がありました。噂では次は小説を書きたいので、その構想を暖めながら、アルバイト医師として生活費を稼いでいるとのことでした。そして、数年後に書き上げた小説が「破裂」でした。問題作品を好んで出版する幻冬社から出版され、そのキャッチコピーは「医者は、三人殺して初めて、一人前になる」というショッキングなものでした。この時からプロの小説家ということでしょうが、久坂部羊というペンネームを使うようになっていました。この「破裂」は文字どおりベストセラーに名を連ね、2007年には村上龍の「半島を出よ」などと肩を並べて幻冬社文庫入りを果たしています。

  私自身も文章を書くことは好きなので、K医務官のこの華麗な変身をちょっとうらやましく思っていることも確かです。しかし、一つだけ「これはちょっと違うんじゃないの?」あるいは「ここまでしないといけないの?」と思っていることがあります。それは彼の処女作「大使館なんていらない」のある部分に関わっています。
日本医療隊チーム(つまり我々)がいかに何もしなかったか、あるいは何も出来なかったと書いています。それはその通りなので、特に問題はないのです。しかし、医療隊は大使館内のテニスコートでテニス大会を楽しんでいたと非難している箇所があるのです。このテニス大会はK医務官の送別大会で、彼自身と彼の奥さんも参加していたのです。実は私はK医務官の奥さんとペアを組んで優勝しているんです。
恐らく、編集者の差し金で、このような具体例を入れろと迫られて仕方なしにこの場面を入れたのだろうと想像します。でも、その場にいた私たちがこの本を読むことを予想しなかったのでしょうかね。

 まあこういう小さな不満もありますが、作家、久坂部羊にはこれからも活躍して、どんどんいい作品を書いてもらいたいと希望しています。

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木戸友幸
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