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89)世界が愛した「パリ・アメリカン病院」

 ほぼ四半世紀前に初代日本人医師として私が開業していたパリ・アメリカン病院(American Hospital of Paris以下AHP)は当時でも90年以上の歴史があり、その歴史の中で様々なセレブ患者が入院したことは噂に聞いていました。仕事を始めて数ヶ月経って、病院の医師仲間や職員とも話を交わすようになり、徐々にAHPの華麗なセレブ患者の歴史を聞かされるにつけ、その詳細に興味を持ち始めました。私がいた2年半の間にも、1997年に在仏アメリカ大使パメラ・ハリマン(イギリス生まれで1971年に米国市民権獲得、チャーチル元首相の息子の元妻)が、ホテル・リッツのプールで遊泳中に脳卒中を起こし、救急入院したことがあったのです。主治医には米国とヨーロッパ某国の二重国籍を持つ私の同僚医師が指名されました。大使は呼吸器を装着され植物状態で数日間を過ごしましが、家族が到着し政治的な決着もつき、呼吸器が外され死亡が宣告されました。その間、AHPの本館に掲げられている日仏両国旗は半旗になっていました。

 さて、この4~50年にAHPに入院したセレブ患者を私が得た情報から幾人かご紹介しましょう。世界の海運王と言われたギリシャ人、アリストテレス・オナシスをご存知でしょうか。彼は、これまた世界的なオペラ歌手のマリア・カラスと愛人関係にあったのですが、彼女を捨てジャクリーン・ケネディと結婚します。しかしその後、体調を崩し 1975年にAHPに入院した時にはもう末期の癌に侵されていました。そして、その最後を病院で看取ったのは、ジャクリーンではなくてマリア・カラスだったのです。ハリウッドの美男俳優として知られたロック・ハドソンは1980年代半ばに体調に異変をきたし、AHPに入院し検査の結果、エイズの診断が下されました。80年代半ばには、エイズに効果的な治療はまだなく、病気に対する偏見もあり一旦退院させられたらしいです。しかし、最終的にはAHPで看取られたそうです。アルカイダのスポンサーかつ司令官であったビン・ラディンの母親が、アルカイダが世界中でテロを画策していた真っ最中にAHPに入院していたのです。当時パリもアルカイダの標的都市の一つだったのですが、 関係者はここだけは大丈夫だと確信していたそうです。PLOの議長を長く務めたヤセル・アラファト が60代で結婚した20代のスーハが出産したのも AHPでした。日本の反社会組織Y組の幹部が、病気治療のために空路パリを訪れました。しかし空港には日本の警察から連絡が伝わっており、そのまま強制送還になりました。この事件は新聞で小さく報道されましたが、もちろん空港からパリ市内には入れなかったので、どの病院を受診しようとしていたかは書かれていませんでした。しかし、私がAHP関係者から得た情報では、彼はやはりAHPを受診する予定であったそうです。なぜ、AHPが欧米セレブの患者にこんなに人気が高いのでしょうか?

 第一の理由は、パリ郊外の閑静な住宅街に立地する仏米バイリンガルの病院ということです。因みに1995年私が赴任した以降は、日本人医師もいます。(2019年現在4代目)そのため、世界中どこからもアクセスが良いパリにありながら目立たずプライバシーが保たれ、欧米人(日本人も)にとっては言葉の問題もないということです。
 第二には、やはりAHPのアメニティーの素晴らしさでしょう。まず病室はほとんどすべてが個室です。またソフト面でも病院食は様々なメニューから選択でき、一流レストラン並みです。となると入院費ですが、確かに費用はかなりかかります。しかし、セレブにとってはこれさえも、そのために一般の保険適応のある病院のようにいつでも予約待ちではないということで、むしろ長所になるようです。第三の理由は、かなり私の独断が入りますが、歴史のある私立病院で、後述するようにフランスの政財界に顔の効く理事が揃っているということで、主に政治的なメリットのため入院を希望する人も多いということです。例えば、在フランス米国大使や、ビン・ラディンの母親や、アラファトの妻の場合、入院の結果如何では政治的に重大な問題が起こる可能性も高いわけです。その際になんらかの手が打てる手段をAHPは持っているという理由で、ここを選ぶのではないかと私は睨んでいます。

 さて、次はAHP理事に関する情報です。AHPは私立病院と書きました。公立ではないという意味では確かに私立なのですが、儲け主義かというと決してそうではありません。この病院は非営利組織(Non-profit Organization)なのです。ですから、部屋代や検査代は自由価格で請求できますが、検査機器の購入や病棟の新築、改築などの費用はすべて寄付に頼っているのです。また、病院の医師はすべて独立した開業医で診療費を設定するのは個々の医師です。そのため、企業に対する寄付キャンペーンはAHPにとって一大事業なのです。それを仕切るのが理事会です。私がいた当時、10人ほどの理事がいましたが、その中で個人的にも付き合いがあった二人を紹介します。
 マダムGは、日本でも有名な香水で知られるグローバルな化粧品会社G創業者一族の何代目かの夫人です。当時70代でしたが、背筋がビンと伸びたシャキシャキした典型的なパリのセレブマダムでした。ある時、東京でファッション関係の店を経営している母娘が、マダムGを表敬訪問するためAHPを訪れました。日本人の客人ということで、マダムから依頼され病院内のレストランでの昼食に同席することになりました。まったく初対面の日本人母娘に対して、マダムGは極めて気さくに対応し、昼食中、英語での会話は途切れることはありませんでした。デザートの時にマダムGが母娘に伝えたアドバイスは今でもよく覚えています。「どんなに商売がうまくいっていると思われる時でも、金勘定だけは他人任せではなく自ら行わないといけません。Dr. キドも帰国したら医院を継ぐのでしょう。医師でも金勘定の他人任せはダメですよ。」とグローパル企業の経営者一族から意外なお言葉を頂戴しました。いやこんなにシンプルな言葉ゆえに余計重みがありました。

 やはり70代のM氏は、世界中で誰でも知っているIT企業のI社の元北米最高責任者だった人です。彼はヒラの営業マンから北米責任者まで上り詰めたIT業界のレジェンドだったのです。彼は、日本人で、というかアジア人で初めて AHPに医師として赴任した私のことを気にかけてくれ、病院の廊下などで顔を合わす度に声をかけてくれました。彼とも何度か食事を共にしました。そういう機会に、フランスでの生活のコツとか、ヨーロッパ各国での旅行の時の最適なホテル選び法など具体的なことを分かりやすく説明してくれました。

 紹介した二人のように、どの理事もそうそうたる履歴の持ち主であるにも関わらず、気さくで、少し露悪的に言うと「人たらしの達人」の集まりでした。これらの理事たちが、無償で名誉をかけてAHPの存続に命をかけてくれているのです。
 ということで、次の100年も「AHPは永遠です!」と言えると私は信じています。

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木戸友幸
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