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83)異文化への誘(いざな)い:「兼高かおる世界の旅」とパンナム

 2019年1月に兼高かおるさんが亡くなりました。ご冥福をお祈りします。
彼女の代名詞のようなテレビ番組「兼高かおる世界の旅」は1959年から30年続いたそうです。この30年間、私は日曜の朝はずっとこの番組を観ていたように思います。小学生の頃は単なる海外への憧れの思いから、高校の頃からは、もう少し具体的に将来何らかの形で海外で仕事をしたいなあと思うきっかけになったように感じます。兼高さんの英語は、もちろん完璧なのですが、英語そのものよりも、どのような文化背景の国でも、どのような階級の人たちとも、その都度、ある時は優雅に、ある時はユーモラスに、ある時はやや強引にと、びっくりするほど柔軟に対応しておられるのが高校生くらいになると理解できるようになりました。まさに異文化コミュニケーションの生きた教材でした。

 「世界の旅」の協賛企業は今は無きパンアメリカン航空(パンナム)だったのです。大阪医大に入学してからは、アメリカへの臨床留学を意識するようになり、協賛企業のパンナムにも興味が湧いてきました。1980年から念願のアメリカでの臨床研修を3年間果たすのですが、その場所がパンナム本社ビルがあるニューヨークだったのです。パークアベニューを塞ぐ感じで建っている巨大なビルで、その最上階にはこれも巨大なPANAMの社名が誇らしげに書かれていました。当地で中古車を買ってからは、用事もないのに、パークアベニューを南北に走り、パンナムビルを突き抜ける車道を通り抜けたものです。「世界の旅」で観たカッコいいパンナムの映像と実際のパンナムビルの勇姿に感動し、何とすごい航空会社なんだと無邪気に感心していました。しかし、この1980年代初期にパンナムの屋台骨はすでに傾きかけていたのです。

 さて、1991年にパンナムはとうとう破産し消滅してしまいます。その後、元パンナムの職員だった日本人男性と知り合いになったりしたこともあり、細々とパンナムに対する関心を持ち続けていました。2010年頃に、朝日新聞の洋書の書評で偶然、日系米人の社会学者兼人類学者のChristine Yano著Airborne Dreams: “Nisei” Stewardesses and Pan American World Airwaysに巡り会いました。これは、パンナムが1950年代にハワイの日系米国人女性をリクルートして客室乗務員(著作のタイトルでは故意に当時の呼び名であるstewardessを使用している)として教育し、実際に乗務させたのです。これは、アメリカで白人女性以外を客室乗務員として乗務させた初めての試みで画期的なことだったのです。実際にこの試みは、大成功に終わります。この過程が、当時の初期の日系米人乗務員多数に対するインタビューなどを基に書かれています。この異文化コミュニケーションの壮大な実験とも言える事象がハワイの日系米人社会に与えた影響を、社会学者、人類学者の視点で興味深く書かれています。ぜひご一読をお勧めします。

 というわけで、今回は兼高かおるさんの「世界の旅」とその協賛会社だったパンナムが、私のこれまでの異文化コミュニケーションへの関心に与えた影響をお伝えしました。

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木戸友幸
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