73)ダンケルクを巡る考察
私は第一次大戦から第二次大戦の頃の歴史に大きな関心があり、これまで数多くのフィクション、ノンフィクションの活字作品や映画を読んだり観たりしてきました。そして、2017年から2018年の半年の間にそれこそ私が涎を流しそうな作品3つに巡り会いました。2017年の映画「ダンケルク」、2018年の、やはり映画「ウインストン・チャーチル、ヒトラーから世界を救った男」(以下チャーチル)、それに2018年に読んだカズオ・イシグロの小説「日の名残」の3作品です。
2017年後半に公開された映画「ダンケルク」は、1940年にデンマークとノルウェイに侵攻したドイツが、その勢いをかってフランスに侵攻し、ダンケルクでイギリス、ベルギー、カナダ、フランスからなる連合軍を完全に包囲してしまったのです。そこで、首相に任命されたばかりのチャーチルが、民間船を徴用したダイナモ作戦(Operation Dynamo)を指揮し、民間船860隻で30万人の連合国兵士を救出します。この経緯を、イギリス人の一兵士の目を通して描いています。
2018年春に公開された「チャーチル」は、2018年の、アカデミー主演男優賞をチャーチルを演じたゲイリー・オールドマンがとり、そのオールドマンをチャーチルに見事変身させた辻一弘がメイクアップ&ヘアスタイル賞をとったことで話題を集めました。この作品も「ダンケルク」と同時代を扱っています。首相就任直後のチャーチルがドイツ融和派の閣僚の攻勢に押され気味になっているところに、ダンケルクでイギリス軍がドイツ軍に包囲されるという大事件が持ち上がるのです。ここで起死回生のダイナモ作戦をチャーチルが決断し、見事に成功します。このダイナモ作戦をきっかけにしてチャーチルが国民の信頼を獲得するというのが、この映画の一番の見せ場なのですが、映画の原題はDarkest Hourで、イギリス国民、特にロンドン市民は1945年までの暗い暗い5年間を耐え抜いたということです。こちらの映画は、ダンケルクを政治家チャーチルの目を通して描いていると言えます。
さて、最後の「日の名残」です。これは2017年のノーベル文学賞を獲得したカズオ・イシグロの小説で、映画化もされています。イシグロの小説は、20年前から好きで、ほとんどの作品は読んでいた(もちろん英語版で)のですが、どういう訳かこの「日の名残」は読む機会がなく、映画も観ていませんでした。ノーベル賞をきっかけにしてぜひ読もうと思い立ち、書店に行くとイシグロ作品はすべて売り切れでした。翻訳版は緊急増刷により一ヶ月ほどで店頭に並びましたが、英語版は店頭に出るまで半年かかりました。アマゾンでは購入可能だったのですが、本来なら1000円ほどのものが、3000円とプレミアム価格がついていたのです! さて、わくわくもので読み始めると、この作品は英国執事の第二次大戦後の追想録でした。執事スティーブンは、第二次大戦直前にダーリントン・ハウスで執事をしていました。その館の主人であるダーリントン卿は、ドイツ融和派の貴族で、ダーリントン・ハウスで夜な夜なドイツの貴族や外交官、それにイギリスのドイツ融和派の著名人を招いて私的な会議を開催したのです。映画「チャーチル」で描かれているように、戦前はイギリスではドイツ融和派はそれなりの力を持っていたのです。高校の世界史の教科書にも出てくる1938年のミュンヘン会議では、イギリス、フランスがドイツに妥協し、ドイツのチェコ、ズデーテン地方の併合を許したのです。もちろん、その後のヒトラーのとった戦略から連合国融和派の希望的観測は、まったく誤りだったことが分かり、現在、強硬派のチャーチルが英雄視されています。そのため戦後、ダーリントン卿は世論の不興を買い、不遇の日を送ったのです。もちろん執事のスティーブンは戦後もダーリントン卿のとった行動に一定の理解は示し、尊厳ある紳士として彼を追憶するのです。
という訳で、2017年から2018年にかけての半年という短い期間で第二次大戦の英独関係に関するまったく異なる視点からの3作品に巡り会い、至福の時間を過ごすことができ、益々この時代の歴史への興味が湧いてきました。
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