Dr.Kido History Home
E-mail

国際医療協力

ボタンDr. 木戸流「異文化コミュニケーション」ボタン

68)クロード・ベルナールを巡る考察
 時代は一気に40年以上前の1970年代前半に遡ります。大阪医大に入学して数年目の頃です。その頃から私は英語に加えフランス語を勉強し始めていました。フランス語はまだ始めたばかりで、文法も語彙もまだまだまったく初歩のものでした。しかし、せっかく医学生がフランス語を始めたのですから、フランス語で書かれた医学関係のものを読んでみたくなってきました。

 当時、教養課程で心理学を教えていたK先生は精神科医でもあり、ドイツ語とフランス語に堪能と聴いていました。そこである日、K先生の部屋を訪ね、フランス語を始めたところなのだが、フランス語で書かれた医学書を紹介して欲しいと依頼しました。彼は迷わず書棚から一冊の本を取り出して手渡してくれました。「木戸くん、医学の基礎はなんちゅうても生理学やで。生理学ゆうたらクロード・ベルナールや。頑張ってこれを読みなさい。」それはクロード・ベルナールの実験医学序説でした。

 K先生が貸してくださった実験医学序説を家に持って帰ったその夜に、医大入学の時に購入したオリベッティのタイプライターで序文の部分だけですが何とかタイプし終わりました。しかし、当時の私のフランス語能力では内容の理解は到底できませんでした。そこで、数日後、梅田の紀伊国屋書店で岩波文庫の日本語訳を買ってきて、訳を頼りに一週間で何とか読み終えました。確かに、19世紀に現代の実験医学にも通用する原理を書き記したベルナールは天才だと思いました。しかし、この本を最後まで読み終わって感激したことがもう一つあったのです。お借りした本の最後のページの余白に「1945年11月読了と書かれていたのです。もちろん書いたのはK先生に違いないと思うのですが、あの太平洋戦争敗戦の直後の混乱の時期にK先生は実験医学序説をフランス語版で読んでいたのです。

 このことがきっかけで、K先生とは少しずつ親しくなっていきました。彼は精神科の外来も持っておられ、私が学部に進んでからも、時々付属病院で顔を合わすことがありました。ある時、彼と病院のエレベーターでばったり出会いました。開口一番「おい木戸くん、ええとこで会うた。僕5階で降りたいんやけど、何とかしてくれ。」と叫びました。当時のエレベーターも今のものと基本的には同じもので、5のボタンを押せばいいだけです。無事に5階で降りる時、本心から「ありがとう」と言ってくれました。恐らくK先生は今で言うアスペルガー症候群的な兆候を持つ人だったのだと思います。自分の専門分野の精神医学や心理学では抜群の能力を発揮するが、日常誰でもできるエレベーターのボタン操作などはできないと言った具合です。また、これは彼自身が言っていたのですが、読み書きは自由自在だった独仏語ですが、会話となるとまったく駄目だったそうなのです。ある時、来日したドイツ人精神科医の講演を聴きに行き、講演後の懇親会で思春期精神医学のことを質問したそうなのです。思春期を意味するpubertatをピューベルテートと発音するとまったく通じなかったそうです。ドイツ人はやや英語風にピューバテートと発音するということがその時初めて分かったそうです。こういうK先生を私は全面的に文字通り敬愛していました。

| BACK |

Top


木戸友幸
mail:kidot@momo.so-net.ne.jp