63)私の英語修行
中学で英語を学び始めた時から元々英語は好きな科目でした。しかし、読み,書き、聴き、話すという実用的な英語の勉強を意識し始めたのは、大学入試に一度失敗して浪人した時でした。
1年間の浪人時代の私の受験のための英語勉強法は、ひたすら英語の小説を読むことでした。300ページほどのペーパーバックの小説を月一冊のペースで読んでいきました。小説のジャンルは問わず、表紙の本の内容の説明で面白そうなものを選びました。読み続けるためにはある程度の面白さは必要ですから。分からない単語や熟語っぽいものが出てきたら、原則英英辞典で調べました。それでも的確な日本語訳が不明なときだけ英和辞典を使いました。もちろん単語を調べた時は、必ず発音とアクセントを確認して、紙に何度か書きながら同時に声に出して言うことにしていました。入試英語に必要とされていたいわゆる英文法参考書は一切使用しませんでした。英語のペーパーバックも3冊目くらいになると、かなり速く読めるようになり、内容理解も深まっていきました。予備校や出身高校での模擬テストの英語の得点も確実に上がってきました。私が浪人していたのは1970年、そうあの大阪万博があった年です。そういうこともあり、テレビニュースの2カ国語放送が70年から始まりました。英語放送を聴くには、特別の受信機が必要だったので、それを購入し一日最低1時間は生の英語を聴くようにしました。
受験のための英語勉強法としては、かなり思い切った作戦でしたが、実際本番では、どの大学の入試もこと英語に関しては、ほぼ完璧でした。日本の入試英語もその頃から、重箱の隅をつつくような文法問題は姿を消し、長文問題が中心になってきていたことも、幸いしたようです。
実は浪人時代から、大学医学部を卒業したらアメリカへ臨床留学しようと計画を練っていたのです。ですから、大阪医大に入学してすぐにしたことは、評判のいい英語学校を探すことでした。まず始めに行ったのが北区の扇町にあったYWCAでした。夜のクラスに週3回通いました。夕方、高槻市の大阪医大の講義が済んですぐに梅田まで阪急に乗り、扇町まで15分かけて歩くのです。講師はすべて知的レベルの高いアメリカ人で、こちらの動機付けもしっかりしているので、ハードスケジュールにもかかわらず、授業中に寝たりすることは一切なかったです。講師の一人で60代くらいの女性がいました。彼女は私の実家(医院)の近隣の淀川キリスト教病院の米人牧師の奥さんでした。授業の帰りも帰宅ルートが同じだったので、二人で梅田の繁華街を雑談しながら帰ったものです。当時、梅田の地下街が拡張され、そこで彼女にお茶をおごってもらったこともありました。そういうときの英語は授業でのものより、より自然で役立つものだったと思います。1年間YWCAに通った後、今度は土佐堀のYMCA英語学校に移りました。YMCAの方がYWCAより規模が大きく、上級クラスに入ると授業の質も高いと言われていたからです。クラス分けの試験を受け、見事最上級クラスに入ることが出来ました。浪人時代の英語の濫読と、YWでの1年間の授業で私の英語もかなり進化していたのです。YMも週3回で、講師はここも3人の異なるアメリカ人で、それぞれが工夫を凝らしたオリジナルな授業をしてくれました。一人は口語のカジュアルな表現に徹した英語を、もう一人は米国のテレビを中心に、CMや人気番組の歴史を実際の映像を添えて教えてくれました。最後の講師は、テーマを決めてディベートを我々にさせることが多かったです。クラスの英語能力も高く、どの講師も満足そうでした。YMでは半年に一度全国のYM一斉にテストをしていました。語彙、文法、聴き取りの3分野に分かれた5択のマルチプルチョイスの問題です。TOEFLなどと同種のテストです。通い始めて半年後に受けたテストの結果はクラスで2番でした。何と、その結果は全国での順位も同じで、大阪YMCAの我々のクラスが全国のワンツーフィニッシュを決めたのです。一番になったのは、商社勤務の女性で、いつもの授業での英語能力もダントツで当然の結果だったと思います。
さて、YMに2年通った時に、医大の教養課程から学部に移り時間的な余裕も少なくなってきました。また、この頃から大阪日仏学院というフランス語学校に通うようになったので、YMでの英語の勉強は中止せざるを得なくなりました。学部での英語の勉強は、アメリカ留学試験対策を兼ねて英語の医学書を読むことに徹しました。浪人していた1970年から10年後の1980年に念願のアメリカ留学を果たしました。確かに、ブルッックリンの病院で飛び交う機関銃のような英語のやり取りにはすぐには付いていけませんでしたが、半年経ったある日、自宅でテレビを付けっぱなしにしてのうたた寝から目覚めた時に、流れていたニュースの内容が8割がた頭に入っていたのです。その日から、同僚のしゃべる英語がはっきり分かるようになりました。今でも、この比較的早いアメリカでの英語能力の獲得は、日本での10年にわたる戦略的な英語修行の賜物だと信じています。
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