6) 診察料踏み倒し未遂事件
その日は内科当直だったのですが、深夜前に救急患者の来院は途絶え、これで今日の当直は無事終了とベッドに入りました。ところが朝の4時に起こされました。救急室に行くと、私の到着を待ち望んでいた研修医と事務職員がまず事のあらましを伝えてくれました。外国人患者が風邪症状で受診し、研修医がその対応に当たり、特に風邪以上のものはないとの診断で、診療を済ませたが、支払いの際に金がないので無料にして欲しいと言っているらしいのです。
患者は中年女性で、英語が準公用語である発展途上国の国民でした。日本旅行の今日が最終日で、午後に帰国するとのことです。旅行の最終日でキャッシュが全てなくなったので、診療費を見逃して欲しいと言います。
冗談じゃない!金がないなら、診察前にそのことを申告すべきです。この患者は、こういうことをするのは今日が初めてではないと睨み、論理的に相手を非を認めさせ、診療費を払わせてやろうと身構えました。
まず相手の言い分を聴きました。旅行の最終日でキャッシュを切らしていることの他に、ここは国立病院だから儲けを出すための病院ではない、だから見逃してくれと早口かつ巻舌の英語でまくしたてます。並の日本人ならこれで逃げきれたのでしょうが、生き馬の目を抜くブルックリンで鍛え抜かれたDr.木戸相手ではそうはいきません。
「あなたの言い分はよく分かりました。まず、国立病院だから診療費を見逃すなどということは、世界のどこであっても通る理屈ではありません。また、あなたは今キャッシュがないだけで、誰かが立て替えれば問題がないのですね。」とわざとゆっくり落ち着いた口調で尋ねました。
彼女は、しぶしぶながら私の主張に同意しました。ここで解決手段をすぐ伝えて一件落着にしても良かったのですが、ちょっと懲らしめてやろうと思い、こう続けました。
「あなたは、早朝4時前に大して重症とも思えない症状でこの病院を受診しました。研修医はきちんとした診察をして、必要な処方をしました。その正当なサービスに対する対価をあなたは払えないとおっしゃる。あなたのお国の国民は、世界に冠たる商売上手として知られています。正当なサービスに対して正当な対価を支払う。これが商売の基本ではないのですか。さて、ここらで解決作をお教えしましょう。あなたはどこにお泊まりですか?」
彼女はこの質問に対してもしぶしぶ答えました。国立大阪のすぐ近くの国際ホテル(現在はありません。)でした。そのホテルに電話し、事情を伝え彼女のクレジットカードでキャッシュを調達してもらうことにしました。解決まで15分もかかりませんでした。
この経緯を隣で聴いていた事務職員と研修医は、その患者が帰ってから、私に大げさなくらいに感謝してくれました。事務職員など、言い返そうと思っても言葉の問題で言い返せないことをすべて私が言ってくれたので、胸がすっとしましたと、私に抱きつかんばかりでした。
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