49)ウッディ・アレンを通してのユダヤ人論
学生時代からウッディ・アレンが好きでした。ですから彼の映画はほとんど観ています。アメリカに臨床留学する際に、ニューヨーク、それもブルックリンの病院を選んだのも、彼の影響が少しあります。彼は、日本ではあまり知られているとは言えない映画人なので、簡単にご紹介することにします。
ウッディ・アレンは1935年にニューヨークはブロンクスで生まれました。しかし、物心ついてからは、ブルックリンで生活しています。大学を中退して、最初はスタンダップ・コメディアン(ピン芸人)として活躍します。その後に映画の道に進むのですが、彼の初期の作品は、ほとんとすべて彼が監督と主役を勤めています。風采の上がらないユダヤ系男性が、ひょんなことで美人と知り合うといった恋愛物語が多いのですが、どの作品にも、何とも言えないローテンションの物悲しいユーモアが漂っています。また、ユダヤジョークや自らのユダヤ性をからかう自虐ギャグがポンポンとせりふに出てきます。もし、これが非ユダヤ系の制作者の作品だったら、まず間違いなく、全米ユダヤ協会から激しい非難が飛んできたはずです。
1980年代までのウッディは、ニューヨークではそこそこ有名でしたが、まだマイナーな存在でした。しかし、意外なことにフランスでは、その頃からすごく人気があったのです。1990年代に、その当時のパートナーであったミア・ファローとの間の養女の韓国人女性と関係を持ち、その養女と結婚までしてしまいます。もちろん、ミアから愛想をつかされるし、世間からも猛パッシングを受けました。その時、ウッディが逃避したのが、いつも彼を暖かく迎えてくれるパリでした。
2000年に入ると、作品の舞台をパリを始めとするヨーロッパに移し、主役は若手を抜擢し、自らは監督業に専念するようになります。若手の伸び盛りが、彼の作品に進んで出てくれて、作品は、世界中でヒットするようになり、興行的にも大成功を収めるようになりました。2005年にロンドンで撮影された「マッチポイント」では、あの美人女優、スカーレット・ヨハンソンが準主役で出てますよ。
さて、ウッディの初期の作品で頻発された、ユダヤジョークや自虐ギャグは、ニューヨークを中心とするアメリカのユダヤ系社会で一般的なことなのでしょうか?1980年代の3年間、ユダヤ系がマジョリティである、ブルックリンの病院で研修医として過ごした私の経験からすると、答えはイエスです。病院周辺の白人の患者、看護師、医師は大半がユダヤ系で、彼らと話すと、必ずユダヤ系自虐ギャグが発せられます。でも、間違っても、こちらからそれを言ったらだめですよ。全米ユダヤ協会ほどではないにしても、絶対に嫌な顔はされますから。
研修医の同期、デイヴィッドは口から先に生まれたような男でした。彼もユダヤ系で、いろいろ冗談を言い合う仲でした。行動科学というローテーションの時に、うつ病の講義があり、うつの主要症状の一つに、guilt(罪の意識、自分を卑下する意識)があると教わりました。その講義の帰りに、デイヴィッドが「ユダヤ系の若者にguiltを感じないやつなんていないぜ。ということは、俺たちユダヤ系は全部うつってことか。」と自分のジョーク?に満足してゲラゲラ笑い出しました。
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