33)英語をしゃべるタレント考
英語が出来ることを売りにしているタレントは、1970年頃からぼつぼつ出始め、今では特に珍しくもなくなってきています。私自身、大学受験時代から英語に関しては、かなり関心が高かったので、これらの英語タレントの動向にも注目してきました。私の40年にわたる英語タレント考察に少しお付き合いください。
1970年代で私の記憶に一番残っているタレントはアグネス・チャンです。彼女は当時、典型的なアイドル歌手として日本デビューを果たし、成功を収めたことは皆さんご承知の通りです。当時のアイドル(今でも同じかな?)の定石通り、彼女のインタビューに対する答えは、いつもいわゆるプリッ子的な、ちょっと脳タリンの女の子の発言といったものでした。当時の彼女の日本語能力も関係していたのかも知れませんが、私の直感で、これは日本流アイドルに合わせるための演技なのではないかと思っていました。
彼女はその後上智大学に進学しますが、その頃、ラジオの英語番組で英語でインタビューを受けているのを、たまたま耳にしたのです。彼女は、きれいなブリティッシュ・イングリッシュでこれまでの彼女の成功物語や、これからの抱負を、客観的に淡々と語っていました。その中で、デビュー当時は、日本語で不本意な発言を余儀なくされ、不満足だったとも言っていました。アグネスは、あの若さで、日本語と英語で、自分のイメージを使い分けていた訳です。それは賞賛に値することなのですが、アグネスのあの未だに変なイントネーションの日本語はなんとかならないでしょうかね。日本での人生の方が長いはずなのに・・・。
1980年代では、ハワイ育ちの早見優が、英語をしゃべるタレントとしては有名でした。彼女もアイドル歌手としてデビューしましたが、デビュー当時から比較的大人びた応対をしていたように思います。彼女も英語番組での英語での発言はよくしていましたが、日本語での発言とそれほど違いはなかったように思います。しかし、彼女の場合、やはり文化の根は日本にあるようで、ある時期からバラエティー番組にも出るようになりましたが、志村けんのギャグの「早見優、北天佑」も自ら自虐的に使い、日本語を楽しんでいました。ある時期、子供相手の英語教育の番組にレギュラーで出ていましたが、とても自然な感じでこなしていました。
1980年代から90年代前半で、記憶に残る英語使いは、ニュース・キャスターの筑紫哲也です。彼は、帰国子女でもなく、自分で努力して学び仕事で磨いた英語で勝負していました。アメリカとの貿易摩擦が問題になっていた時、日本に対する抗議集会がアメリカ各地で頻繁に開かれていました。その一つに彼は突撃取材を試みたのです。抗議集会の壇上で、主催者側の米国人に、もちろん英語で取材したのです。100%アウェイの状況で、アメリカ側の主張の矛盾を突く鋭い質問を繰り返しました。決して流暢な英語ではありませんでしたが、正確な文法で、それも決して感情的にならない態度で、インタビューをこなしました。あの突撃インタビューに匹敵するものは、その後観たことはありません。
今、一番注目しているタレントは、関根麻里です。彼女は、お笑いの関根勤の娘ですが、小学校から東京のインターナショナル・スクールで学び、アメリカの大学を卒業した本格的なバイリンガルなのです。芸能界入りは恐らく父のコネがあったのでしょうが、驕ることなくなく、順調に「英語に堪能な芸人の娘」といった役所を果たしているように思います。彼女の本領が発揮されているのは、ハリウッド俳優(女優)へのインタビューです。これまでのインタビュアーは、顔はかわいく英語は上手だけれど、訊く内容は通り一遍、アドリブ発言もなしというのが常でした。しかし、関根のインタビューは、なかなかユニークなのです。彼女自身、作品をかなり深く研究したうえで、インタビューに臨んでいるようで、作品のある部分を取り上げ、まず彼女の感想を述べた上で俳優の考えを訊くというスタイルをとっています。意外な答えが帰ってきたときのアドリブもなかなか機転が効いています。あの日本好きのヒュー・ジャックマンはフジテレビのインタビューでは、インタビュアーは、いつも関根麻里です。
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