28)米国からの見学者
アヤコは、外見はまったくの白人女性で、アジア系の面影はほとんどありませんでした。しかし、そのファーストネームが示すように、母が日本人、父がアメリカ人でした。彼女が最初に私にコンタクトしてきたのは、E-メールを通じてでした。
-自分はアメリカの大学で化学と日本語を専攻した。現在大阪で英語を教えながら、生活している。近い将来、アメリカで医学校に進みたいと思っている。友人の友人からの情報だが、Dr.木戸は英語も堪能で、医院で医学生や研修医を教えている。医学生でもない私もその仲間に入れてもらえるだろうか?- といった内容のものでした。
断る理由は何もなかったので、来てもらいました。母親が日本人で、大学で日本語専攻、それに日本で半年自活しているという情報だったので、日本語はまったく問題なしと思っていました。しかし、意外にもアヤコの日本語はたどたどしく、そのせいもあってかアメリカ人にしては内気で恥ずかしがり屋でした。彼女は医院のスタッフとは日本語で会話していましたが、私との会話は英語ですることを懇願しました。
それから帰国までの半年間、アヤコは週一回のペースで木戸医院に通ってきました。その間、アメリカの医学校入学のためのM-CATという試験も受けました。さすがにその前の一ヶ月間は、試験勉強のため木戸医院での見学はお休みで、英語教師の仕事も減らしたそうです。このM-CATは年に何度か行われており、ネットを使い世界中どこからでも受験できるのだそうです。アメリカでも医学校入学は難関で、M-CATはかなりの得点をとらないと、面接の許可ももらえないとのことです。彼女は、大学を卒業して一年以上たっているし、余り自信はないと言っていましたが、試験後、医院を訪ねて来たときは、満面の笑みで、満足のいく得点をとれたと報告してくれました。
M-CAT受験を無事終えてからは、彼女の医学へのモティベーションはさらに上がり、見学に来た日の翌日には必ずメールで、質問が来ました。それも、患者の日本語表現に関するものや、日本の習慣についての私にとっても非常に示唆に富んだ的確な質問でした。また、往診にもついてくるようになり、母国とはあまりにもかけ離れた日本の住宅事情に少し戸惑いながらも、楽しんでいました。
そんな聡明なアヤコでしたから、午前中だけでも50〜60人の診察をする、国際常識からすると信じられない日本の開業医療を見学してもらうのを、やや心苦しく思っていました。しかし、彼女はその辺の事情もちゃんと心得ており、彼女なりの日本の医療の優れた点、例えばアクセスの良さや医療費の安さを称賛してくれました。
最後の見学の日に、医院のスタッフに手作りのクッキーを持って来てくれました。スタッフ全員から見送られて、アヤコは帰国しました。
それから数ヶ月後、医学校面接に必要な推薦状の依頼のメールがきました。そのメールに、彼女自身が書いた自らの所信表明書も添えてありました。格調の高い英文で、自信たっぷりの医学への思いが書かれていました。この英文と比べられるのかと思うと、推薦状を書くのをためらわれましたが、何とか書き上げました。彼女の情報収集力のすごさと、外国での適応力を強調したA4一枚のものでした。
推薦状を送ってからほぼ一年後、アヤコからのメールで医学校に入学できたことを知りました。私のつたない推薦状も何かの役にたったのかなと思い、満足感と安堵感の混ざった感情のままに、お祝いの返信メールを送りました。
彼女が医学校を卒業後、日本の医師国家試験も受けたらいいのになあと最近密かに思っています。
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