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23)インドネシアの中年研修医

 2000年から医学生や研修医の診療所研修を引受けるようになりました。その中での異文化に関わる変わり種をご紹介しましょう。

 エディーは40代のインドネシア人男性です。年齢からいうともう中年の域に達しているのですが、活気もユーモアのセンスもあり、見た目はともかく、気持ちのいい研修医でした。
 彼がこの年齢で研修医であることには十分な理由があったのです。彼は母国のインドネシアの医学校を優秀な成績で卒業しました。しかし、さまざまな理由で海外で研修を受けることにしたのです。最初は、世界中で一番外国人に開かれた研修制度を持つアメリカを考えたのですが、エディーの卒業した医学校が新設校で、アメリカ留学のリストにまだ載っておらず、駄目でした。そこで、次に選んだ国が日本だったのです。日本で卒後研修を受けるためには日本の医師国家試験に合格しないといけません。もちろん日本語でです。エディーはこれまで日本語を学んだことはなく、まったくのゼロからのスタートでした。彼は数年かけて日本語をマスターする計画を立てました。その間、日本の医学界での箔を付けるために、大阪の某国立大学医学部の大学院に入学し、日本語を勉強しながら4年間で医学博士の学位をとったのです。学位取得後、日本語検定に合格、医師国家試験には2度のチャレンジで合格したのです。

 木戸医院に研修に来た頃には、エディーは日本人女性と結婚し一軒家も購入していましたから、大したものです。私自身、若い時にアメリカで臨床研修を受けたことを、結構自分も頑張ったなあと自惚れていたのですが、エディーの頑張りに比べたら鼻くそみたいなものです。彼との一か月間は、私が人生について教えてもらうことの方がずっと多かったように思います。

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木戸友幸
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