136)米国人の個人主義
西洋人が個人主義的な傾向が強いということは、明治時代から日本で言われていたことで、そのことに関して異論はありません。日本人にとっての西洋人というと、やはりアメリカ人が一番に頭に浮かびますが、「アメリカでは集団よりも個人を重んじており、個人主義を貫くことに対して皆が寛容である。」といったような感じで受け止められているようです。それはそれで、大きな間違いはないのですが、それほど事情は単純ではないのです。隣の芝は青いと言いますが、日本人にとって西洋事情は過度に理想化されているようにも思えます。そこで、1980年代初頭の3年間を研修医として過ごしたブルックリンでのあるエピソードをご紹介したいと思います。
1980年、ニューヨークはブルックリンで研修医を始めた時、1年上にダナという女性研修医がいました。ダナはイタリア系アメリカ人で、弁護士の卵と結婚していました。彼女は、見るからに優しい風貌で、実際、右も左も分からず、英語もまだまだ拙い私に、ブルックリンで生き延びるコツを根気よく教えたくれました。私にとって、その時のダナは本当に女神のような女性でした。
私が研修2年目に入った時、ダナは妊娠しました。産科のローテーションをとった時のことです。(アメリカの家庭医療学の研修では、産科は必須科目なのです。)その時一緒に研修を受けていた産婦人科の女性研修医が私に「あなたは家庭医療科の研修医でしょ。だったらダナっていう女性研修医を知ってるわよね? 先月うちの科を回っていたんだけど、あんな利己的な研修医見たことないわよ。妊娠してて大変なのは分かるけど、シフト交代の10分前にさっさと帰っちゃうの。」このダナ批判を聞いて私はびっくりしました。「それは何かの誤解じゃないのかなあ。ダナは僕の一年上で、去年僕が研修医をブルックリンで始めた時は、本当によくしてくれたんだよ。」と答えました。すると2ヶ月間の産婦人科研修中に数人の産婦人科研修医に同様のダナの悪評を聞かされたのです。
アメリカの個人主義的な生き方からすると、20代の男性でも逃げ出したくなるような厳しい当時の米国での研修医生活で、妊娠女性研修医が規則の許す限り自分自身とお腹の子を守るために義務を最小限の力で果たそうとするのは、十分周囲が納得してくれる手段だと私はそれまで思っていました。ところが、それはアメリカの個人主義を少し買い被り過ぎた見方だったようです。個人主義的で合理的な考え方が、すべてに行き渡っていると思っていたアメリカでも、「おいおい、もうちょっと場の空気を読んで行動しろよ。」的なところもあるようなのです。
ということで、こういう体験を経た私は、現場生活が乏しい「知識人」が言うところの「欧米では・・・」といった発言には眉に唾を付けて聴くようにしています。
| BACK |
|