パリ、アメリカ病院便り(3)
3)診療開始
1995年3月28日にパリ、シャルルドゴール空港に到着した翌日より、早速、医療部長と会見しフランスでの開業許可書取得に向けての打ち合わせを行った。開業許可に必要な書類はすべて事前に送ったつもりだったのだが、医学部の卒業証書と医師免許証についてはコピーは不可でオリジナルが必要なことがその時判明した。急遽、これらを日本から国際宅急便で郵送してもらった。日本語で書かれた証書にはフランス語の法定訳をつけなければならないのだが、この法定訳を依頼するにはオリジナルの証書を要求されるのである。
この書類不備のために手続きの開始がほぼ2週間遅れて4月の中旬になった。
書類がそろい、いよいよ開業許可証を発行する役所に予約を入れた。 この役所はオルドル デ メドサン(Ordre des Medecins)と呼ばれるが、日本の厚生省地方医務局をいくぶん小規模にしたようなものと言って差しつかえないだろう。午前中の約束の時刻に到着すると、60代の局長と、もう80を越えていそうな顧問といった感じの二人の男性が応対してくれた。一応は面接試験なのだが、アイスブレークといった雑談の後、和気藹々とした雰囲気で会談が始まった。彼らが私のファイルを見ながら、履歴、滞在期間、診療内容などに関してもちろんフランス語で質問する。それに対し私が拙いフランス語で答える。さすがに幾つ目かの質問でフランス語の程度を尋ねられたので、これには正直に現在鋭意勉強中ですと答えた。しかし、英語は完璧でアメリカ病院での診療にはまったく差しつかえはないことを付け加えることは忘れなかった。念のために病院の通訳の女性に付いてきてもらっており同席してもらっていたのだが、彼女が見るに見兼ねて助け船を出そうとすると、この時だけは厳しい目つきでダメというサインを送られた。
この15分程の面接試験の後、局長が内線電話で秘書に指示を与えた。別室に通されると、指示を受けた秘書から、本日開業許可証を発行しますといともあっさり告げられた。この後一時間にわたって私自身のデータベースを書かされはしたが、役所を訪れたその当日に、それも一時間余りで医業開業許可書といった重要書類が発行されるということはこの国では極めて異例なことである。病院に戻って事情通に尋ねてみると、それは医療部長の根回しのおかげだということであった。当院の医療部長は、現役の時はフランスでもかなり名の知られた産婦人科医で、医療行政の分野でも相当顔が効くそうなのである。私としても、来仏早々の快挙に気分が悪かろうはずはなく、ヴィザ待ちで一年を棒に振ったことの溜飲を少しでも下げた気持であった。
余談になるが、この国では特に外国人の場合は、何をするにも書類許可が必要である。外国人がフランスに3カ月以上滞在するのにまず滞在許可証という書類が必要になるのだが、この書類手続きに関する悪評はすべての外国人の間でさまざまな形で伝わっている。そのため、日本人の駐在員は現地の弁護士を雇って、すべて代行手続きにしているくらいである。私自身はこの滞在許可を前述の開業許可手続きに引き続いて、再度通訳嬢の助けを借りて個人的に手続きしたのだが、この噂はやはり本当のものであった。端的に言うと、本手続きの予約を取るための最前線の窓口にいる職員の仕事は、申請者の申し出の真偽に拘わらず、それこそ考えうるかぎりのケチをつけることなのである。しかし延々と続く申請者の列を見ていると、こうでもしないと違法滞在者に歯止めをかけられないのかなと思ったりもする。この窓口でもこの一週間前にもらった医師開業許可証が、葵の御紋のように威力を発揮したことを付け加えておく。
さてこれらの開業に関する種々の手続きを完了して、いよいよ1995年5月より開業の運びとなった。日本の医師免許では第一号のフランスでの開業であるらしい。医療の形態としては、文字通りこのパリ、アメリカ病院の診察室を借りて自営開業するのである。したがって、一般の医師は診察室の使用料として、年間かなりの額を病院に支払っている。幸い私の場合は始めてのケースでかなりのリスクをしょって開業しているということで、部屋代は免除されている。診察室は面談室と診察室が別々の個室になっているスタイルのもので、前者が六畳間、後者が四畳半くらいの大きさで、ゆったりとしている。この診察室をもう一人の医師と共有し、週3回、各半日の外来から始めることになった。また診療スタイルに不慣れな最初のうちは、入院患者は取り扱わないことになった。もちろん完全な予約制で、予約の電話受付と予約簿の管理は各診察室に一人づつついている秘書が担当してくれる。相棒の医師は初診患者については一時間に一人にしているそうなのだが、日本人の場合、日本での短時間の診察に馴れているし、週に半日が3回という診察室使用の制限もあるので、私の予約は半時間に一人を原則にすることにした。それでも国立病院時代あるいは父と医院で診察していた時の外来診療の時間的余裕と比較すると雲泥の差である。
診療開始当初、一番時間をくったのは処方せん書きである。こちらのシステムでは外来薬はすべて処方せんを出して院外薬局で薬を求める方式である。この処方せんには普通、商品名で薬名を書き込む。したがって代表的な薬品の商品名を覚えるまでの時期が大変なのである。薬品名を調べるには、ちょうどアメリカのPhysician's
Desk Refference (PDR)のフランス版といったVIDALという本が、やはりこれもPDRと同様、各診察室、各病棟に備え付けになっているので、このVIDALを利用する。それでも毎回これをしていたのでは、時間の無駄になるので、代表薬20種類位を表にして利用した。診察中にかかってくる検査室や他科の秘書からのフランス語での電話の問い合わせに悪戦苦闘しながらも、まずまずの滑り出しでパリ、アメリカ病院での外来診療がスタートした。
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