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ブルックリン便り  

ボタン パリ、アメリカ病院便り(2) ボタン

 

アメリカ病院2)アメリカ病院の概要
 パリの北西端に日本のデパートも入っている、パレ ド コングレという巨大な建物があるが、そこが交通の拠点でもあるポルト マイヨーである。そこからさらに数キロ北西に外れたところが、ヌイイである。その閑静な住宅街の一角にアメリカ病院がある。
病院は187床と小さいように思われるかも知れないが、外見は日本の300床クラスの大きさの病院である。それもそのはずで、そのほとんどが個室でシャワーとトイレ付きであり一流ホテル並みの快適な居住性を持っている。例外的に2人部屋がある。この中に400人の医師と170人の看護婦ならびにコメデイカルスタッフが働いている。救急室は病院本体とは、別組織となっており、ここだけは常勤の医師がシフト制で24時間365日救急をカバーしている。(他の医師はすべてプライベートの開業医師である。)1993年の統計をみると、年間入院患者数が7000人、523人の出産、外来は年間70,000人、救急室への来院は年間12,000人と日本の病院と比較すると非常にこじんまりしている。平均入院日数は5.4日である。
 アメリカ病院のユニークさはその辿ってきた特異な歴史にある。その創立の契機は今世紀始めの1906年に遡る。当時パリに在住していたアメリカ人コミュニテイーに英語を話すスタッフによるアメリカ式の病院を創ろうといいう気運が持ち上がった。彼らの努力の甲斐あって、1910年このヌイイの地に病院が開院した。1913年には非営利団体としてアメリカ議会より認定を受けた。1914ー1918年の第一次世界大戦中には、当病院は連合軍兵士の治療に大活躍し、実に10万人の連合軍兵士が治療を受けた。1917年にアメリカ合衆国が参戦してからは、合衆国の軍病院第一号になっている。この功績により1918年、フランス政府より公共のための病院としての正式認可を受けた。

 1939ー1945年の第二次世界大戦中も同様に米、英、仏の連合軍兵士の治療にあたった。第二次大戦後は、主にこの地で活動する企業の寄付により、着々とその施設の改善と拡張を計ってきた。1965年には16の病室、外来施設、核医学施設からなるアイゼンハワー ウイングが完成した。1979年から1989年の10年間には79の病室、外来施設、CCUを含む新病棟が完成し、診断機器としてもCTスキャナー、MRIなどが整備されていった。また新しい試みとしてリハビリセンターや日帰り手術センターなどが創られたのもこの時期である。1989年7月13日には、当時のブッシュ大統領夫人、バーバラ ブッシュ氏の臨席を得て、200席の講堂、図書館、カルテ室、管理棟を含むフロレンス グールド パビリオンの落成式が執り行われた。1991年から1993年にかけて健康管理センター(人間ドック)が創られた。この際には日本企業から多大な寄付が寄せられた。

 以上見てきたように、アメリカ病院は二度の世界大戦での連合軍に対する貢献により米仏の両政府より正式認可を受け、特に仏政府よりは病院内のみに於ては、一定数の外国人医師がその国の医師免許で医療を行ってよいという条例までつくってもらっているのである。しかしその病院としての形態はあくまで非営利団体であるので、医療で利益を挙げて施設を改善または拡張することはできない。そこで、主に企業家を中心とするボード オブ ガバナー(Board of Governors)の無償の営業努力により数年単位で企業よりの寄付集めキャンペーンが行われているのである。
 アメリカ病院の患者層について少し触れておく。もっとも多いのは裕福なフランス人である。裕福なと断ったのは、フランスでは公立病院での医療を受けるのが一般的で、その医療費の大部分は償還される。だから、償還率の極めて低い私立のアメリカ病院をあえて利用するのはかなり経済的に余裕のあるフランス人である。次に多いのがアメリカ人で、3番目の利用者が日本人となる。日本人の場合、企業の駐在員は日本の健康保険や会社からの補助で、医療費はほぼ全額が償還される。学生や旅行者は最近はほぼ全員が傷害保険に加入しており、この場合も全額が戻ってくる。したがって、日本人は医療費を問題にするより医療の質を求め、アメリカ病院を訪れるといってもよいのではなかろうか。
 現在のアメリカ病院の医療レベルはフランスというより全ヨーロッパで第一級のものであると言って過言ではなかろうと思われる。米国にJoint Commission on Accreditation of Healthcare Organizations (JCAHO)という優良病院を認定する独立機関があるが、その厳しい基準をクリアーして認定を受けているのは、ヨーロッパで当アメリカ病院ただ一つであることからもこのことがある程度客観化できるであろう。
 さて次回からは、いよいよアメリカ病院での医療の実際やこちらでの生活について触れていきたいと思う。

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木戸友幸
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