フランスの謎(11)
2000年9月JECCS誌初出
2000年11月メデイカメンテに転載
我が国ではフランスというと芸術、料理、ファッションなどの文化面から語られることが多く、国のイメージとしてもかなりいい部類に入ると思われる。しかし、フランスは名がよく知られている割にはその実体は日本人にとって謎に包まれているとも言える。曰く、「フランス映画は小難しくて分からない。」(これは私の妻の口癖)、
「自由、平等、博愛の国の核実験は許せない!」「どうしてフランス人は差別主義者 のルペンをのさばらせているんだ!」等々。筆者は95年春から97年秋までの2年半をパリで医師として生活した。フランス文化には20数年前、医学部の学生時代
にフランス語を学び始めた時から関心を持ち続けている。そこで今回、我が国のフランス感をいくつかの項目にわたって検証することによりフランスの謎の解明に当たりたいと思う。この検証にあたって、筆者の主観により日本にあまり知られていないフ
ランスの側面を取りあげた。また比較の対照としての西洋先進国として、これも筆者 がレジデント(研修医)時代に3年間を過ごした米国を主にもちいた。
1)フランスは自由か?
フランス革命や2回の世界大戦で民主主義陣営側で戦ったという歴史上の事実からフ ランスは古くから「自由の国」というイメージで語られることが多い。あのハンフリーボガードとイングリッドバーグマンの共演で知られる映画「カサブランカ」の酒場でのドイツ将校達と連合国将校達の小競り合いの場面を憶えておられるだろうか
?ドイツ側がナチスの愛唱歌を歌いながら気勢を上げているのに対抗して、連合国側 が「ラマルセイエーズ」で対抗するという場面である。もちろんラマルセイエー
ズはフランス国歌でこの場合は自由の象徴として扱われているのである。
さて、フランスは本当に自由の守護神なのだろうか。フランスが国家政策として他の国々にそういうイメージを宣伝しているのは事実である。そしてそれはかなりの成果を上げているのも事実である。その証拠に「カサブランカ」は第二次大戦中に米国が製作した戦意高揚のための国策映画であり、その米国の国策映画の中でフランスが自
由の象徴として描かれているのだから推して知るべしである。しかし、国内的にはフランスは非常に中央集権的な国であり、一つの側面で名付けるとすると警察国家であ
る。これも歴史的に認知された事実である。日本人のなかにもこの事実に目を着けていた者がある。明治維新の生んだ偉大な政治家、大久保利通である。彼は新制日本国
の存亡の重要な要素が警察組織の整備であると考え、そのモデルをフランスの警察とした。そこで部下の川路利良をフランスに留学させて帰国後、初代警視総監に据えた
のである。
フランスに住んでみると、フランスの国家権力の強力さ、その力の行使機関としての警察の強さがよく分かる。例えば95年夏に起きたパリでの爆弾テロ事件のときは凱旋門近くの目抜きで事件が起きたにもかかわらず、その一時間以内に交通渋滞などおかまいなしにその周囲を時間無制限に交通遮断して捜査にあたった。また同時に近辺
の駅ではマシンガンを抱えた兵士が怪しい者すべてに訊問を行ない、これは一週間は続いた。
筆者は凱旋門から徒歩2分の場所に住んでいたが、凱旋門では国家的な記念日に式典 やパレードがよく行われる。ある記念日の前夜、筆者のアパートの前が騒がしいので
窓から覗いてみると、レッカー車が出て路上駐車の車をすべてレッカー移動させているのである。翌朝その理由が明らかになった。凱旋門からすぐのその道路は記念日に
招待されリムジンで訪れる来賓の駐車場に供されたのである。いくら国の行事でもこういう処置は日本ではまず考えられないし、ましてや米国では、個人が国家に対し訴訟を起こすことなど日常茶飯事ということもあり、論外である。
訴訟というと、医療訴訟は米国では医療者側にとっては最大の関心事の一つであり、日本でも米国ほどではないにしても昨今増加傾向にある。筆者は2年余りフランスで医療を行っていたのでもちろん医療訴訟保険にも加入していた。その掛け金が何と年間1万円に満たない額なのである。医師の掛ける医療訴訟保険の掛け金は米国では年
間数百万円(科によってかなり差がある)、日本でも6ー7万円はかかる。この理由をフランスの医師や法曹家に尋ねると、フランスでは医療訴訟が極めて少ないし、訴
訟があってもほとんどの場合、医療側が勝訴するからだそうなのである。フランスの医療は原則的には国民皆保険の社会医療であるので、これも国家権力の強さを象徴す
る事象である。 結論としては、フランスは対外的には「自由の国」というイメージを宣伝し続けているが、国内的には中央集権の警察国家の色彩が強い国と言える。これは先進国でのダ
ブルスタンダードとしてどの国についても多少は言えるが、フランスのその程度は、米国と日本の両国を知る筆者の目から見て平均以上であるようである。
2)フランスは平等か?
フランスも米国と同様、人種的にはさまざまな人種がフランス国籍を取得し、フランス人として生活している。フランスの旧植民地を中心としたアフリカ各地からの黒人やアラブ系、それにベトナムや中国を始めとするアジア系である。このように多くの人種がフランスで合法的に生活できるという事実は、フランスが一応平等な国である
ことを示している。しかし、外国人がフランスに来てまず行かねばならない移民局での対応は、これが平等を売り物にする国のすることかと思うほどひどいものである。
これは筆者も居住許可証をもらうのに、その他大勢の非白人の人達と列に並んだ体験 から自信を持って言える。米国の移民局の扱いも決して丁寧とは言えなかったが、一
応、こちらの人格は最低認めて対応してくれた。フランスでの移民局の窓口での最初 の対応は「この外国人は何か違法なことをしている、あるいはこれからするに違いな
い。」という思い込みが先ずあって、そのあら捜しをするといった対応である。
労働許可証や居住許可証あるいは国籍まで取得した非白人がフランスでどのような仕事に就いているのであろうか。パリで早起きして街を歩くと道路脇の下水に水を流して掃除をしている人達を目にするが、それらの掃除人はすべて黒人である。病院に到着して中庭を通過すると庭の手入れやベンチの掃除をしている職員がいるがこれも全て黒人である。病院内に入ると廊下や診察室を掃除中であるが、病院内部を掃除しているのはアラブ系の職員である。午前8時半頃に診察室の備品をチェックしに来る職員はポルトガル系で診察時間直前の9時前にやっと白人の秘書が出勤してくる。このようにフランスでは辛くて賃金の安い白人が嫌がる仕事を非白人がしている。米国で
も確かにその傾向があるが、黒人にもはっきりと中産階級が形成されており、テレビ のコマーシャルでもその層を狙って、出演者が全員黒人といったコマーシャルがよく
見られる。軍あるいは政界のかなりのトップの地位に至るまで少数ではあるが非白人 (主に黒人ーアフリカ系アメリカ人と呼ぶのが米国ではもっともポリテイカリーコレクト)が行き渡っているのが米国の特徴であり、その意味では米国の方がフランスよりよほど平等な国である。
しかし、フランス人が非白人に対し差別的な感情を持っているかということになると 話は別である。フランスでもスポーツの世界では非白人が多く活躍しており、先のワ
ールドカップサッカーで優勝したフランスチームのキャプテン、ジダンを例に出すまでもなく、非白人のヒーローは多い。芸能界にもアラブ系の人気者がかなり存在する
。こういった特殊な世界でなくても、白人のフランス人が非白人に対して人種的に嫌悪感を持っているとは思えない。これはどうも差別というより純粋に経済的な問題のようなのである。ある国でマイノリテイーがその国のエスタブリッシュメントにまで入り込めるようになるまでには半世紀から一世紀の年月を要する。米国においての黒人、中国系、日系アジア人はそれだけの歴史を持っているのである。そこまでの歴史
のないフランスのマイノリテイーは未だ発展途上にあると言ってよいのではないだろ うか。こう考えると、移民局の職員のあの敵対的な態度も、単に貧乏人にはもう来て
欲しくないということを言いたいだけのようにも思えてくるではないか。
結論はフランスは人種問題では原則的に平等であるが、貧乏人にはやっぱり差別があ り、結果的に非白人が苦しい生活をしているといったところではないだろうか。
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