L'ETE
1975(28)
28)知らぬが仏
さて、9月中旬にヨーロッパボケで帰国した私ですが、帰国の翌日から大学にはちゃんと行きました。我々の時代は、医学部5年生の夏休み明けは病棟実習はまだ開始されておらず、すべて講義だったのです。もともと講義はさぼりの欠席者も多かったので、夏休み明けの2週間を欠席していても特に目立ちはしませんでした。ということで、特に大学から咎められることもなく、そのまま秋から病棟実習に入り、最終学年の6年生に進むことが出来ました。
当時の大阪医大では6年生になってすぐの春に何人かの教授たちと共に卒業旅行をする習慣になっていました。我々が旅行先に選んだのは、近場の伊勢志摩でした。志摩観光ホテルに宿泊し、夕食にはエリザベス女王が絶賛したというアワビのステーキがメインのメニューに舌鼓を打ちました。夕食の後、大広間に集まって、教授連も交えて酒盛りが始まりました。宴も盛り上がってきた頃に、徳利を片手に当時の第一内科のM教授がニコニコ笑いながら、私に話しかけてこられました。「君が木戸君か。卒業すればもう会うこともないかも知れないから、今から君にとっておきの秘話を聴かせてやろう。」彼は、東大から来た神経内科の専門医で、その臨床講義は緻密な構成で、私も彼のファンの一人であったので、こんな風に個人的に話しかけてこられたので、感激しました。でも秘話とは何だろうという好奇心もあり、「何のことでしょう?まったく想像もつきません。」と答えました。周りの同級生たちも興味津々で成り行きを見守っていました。
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