L'ETE
1975(27)
27)帰国フライトでの四方山話 続
機内に入り、整理券の番号順にエコノミーの席(全ての客がエコノミー客なのですが)から座っていくと、私を含めた最後の10人足らずの客はファーストクラス席にはみ出してしまいました。ひょっとしたら職員はそのことを知っていて、私に最後の方の整理券を渡してくれたのかも知れません。(あまり彼等を好意的にみたくはありませんが・・・)席のスペースはエコノミーより随分ゆったりしていたので、得した気分にはなりました。でも、出てきた昼食はもちろんエコノミーと同じものでした。
パリー成田間のアエロフロート機はモスクワで着陸し、そこで機を替えることになっていました。モスクワ空港内でキャビアの缶詰を買ったり、喫茶室で岩のように硬い角砂糖に悪戦苦闘しながら紅茶を飲んだり
して、2時間ほどのトランジットタイムを過ごしました。乗り換えた機もまったく同じ機種で、日本人は規則に従順ですがから、今度もやはり同じ順で着席しました。モスクワを離陸して2時間ほどたつと夕食の時間になりました。ワゴンにシャンペンを含めたワインや食前酒を積んだフライト・アテンダントがにっこり微笑みながら、「夕食前に何をお飲みになりますか?」とそれもフランス語で尋ねてくれました。フライト・アテンダント自身もモスクワまでの女性と比べると明らかに若くて美人でした。「シャンパーニュ・シルブプレ(シャンペンをお願い)」と答えて、隣の席の、これもフランス語を理解できる同年齢の男性とにんまりと目配せしました。食前酒に続き出てきた夕食も、布のテーブルクロスに陶器の食器で供される正真正銘のファーストクラスのものでした。残り福のファーストクラスに座った10人弱の日本人の中でこの待遇に何か注文をつけたり疑問を呈した人は、もちろん一人もいませんでした。正直で規則好きの日本人も我々くらいの世代では、当時でもこの程度には国際化(ずる賢くとも言えるかな)していました。
恐らく、モスクワでの申し送りが不十分で、その日のファーストクラスに座っている客がエコノミー料金の客であるという情報が届いていなかったのでしょう。お陰で、美味しい機内食を食前酒から食事が終わるまでドンペリニオン(高級シャンペンの銘柄)で堪能し、食後にはコニャックまで頂いてしまいました。それもフランス語の上手な若い美人のフライト・アテンダントのサービスで。
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