L'ETE
1975(26)
26)帰国フライトでの四方山話
マリアとデイヴィッドと楽しい夕食をとった翌日、帰国フライトの確認のためパリのアエロフロートの事務所に出向きました。予約は出来ないけれど、空港に直接行ってもらえれば、空席待ちで上手くいけば乗ることができるだろうという極めてソ連的な曖昧な受け答えでした。
さて帰国の当日です。オルリー空港のアエロフロートのカウンターに到着すると、もう百人近くの客が集まっていました。成田行きの客ですからほぼ全てが日本人でした。パリ事務所の対応があんな風でしたから、乗客のほとんどがその日の便に乗れるのかどうか、どんなシステムで乗る優先順位を決めるのかといったことについては全く無知でした。
数人の待っている客に情報を訊いてみると、そのほとんどが上記のように何の情報も持っていませんでした。そこで、私はカウンターにいたアエロフロートの職員に乗客にフライトについての説明をすべきだと談判しました。すると職員は、英語で説明するからおまえが通訳せよと言いました。私も客の一人なので何もそんな義務はないのですが、仕方なく引き受けました。
骨子は整理券を配り、その順で乗ってもらうことにするという単純なものでした。細かい点でいろいろ不平不満が客から出て、それに対する答えがまたソ連的なおざなりなものだったので、通訳の私が非難の的になるといった損な役回りを演じざるを得ませんでした。それでも、幸運なことにその日集まった人たち全員が当日便に乗ることが出来ました。ボランティア通訳まで務めた私自身の整理券はほとんど最後の方のものでした。最終的に乗れたからよかったものの、ソ連では感謝の情というものはないのかと、その時は少々腹立たしく思いました。
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