L'ETE
1975(23)
23)最後の授業
「最後の授業」というタイトルを見ると、私と同世代(1951年、昭和26年生まれ)の人なら、小学校の道徳の教科書に載っていた同タイトルの短編を思い出されるのではないでしょうか。アルザス地方の小学校でのフランス語での最後の授業を描いた作品です。アルザス地方は、フランスとドイツの国境に位置しており、歴史上、戦争の度に仏領になったり独領になったりするところなのです。フランス人のドーデの作なのですが、フランス人にドーデと言ってもまず知りません。恐らくこの最後の授業という作品も知らないでしょう。でも、日本ではどういう経緯か知りませんが、ある時期、小学校の道徳教科書に載っていたということで非常に知名度が高いのです。
蘊蓄話で長く引っ張ってしまいましたが、これには理由があります。単純にグルノーブルでの「最後の授業」は大して語ることがないということなのです。
私は一か月のコースを選んでいたので、その日が最後の授業だったのですが、2か月コースを選んでいる人もいるし、皆まちまちなのです。ですから打ち上げパーティーのようなものも、もちろんありませんでした。
たまたまその日コースを終了するのが私一人だったので、教師のミリエルがちょっとした訓示をくれました。「トモユキは文法に関しては、非常に優秀でした。これから実際にどんどんフランス語を使う環境に身を置けば、上達は速いでしょう。」
エンリケやパブロなどのベネズエラ軍団の面々とは「また世界のどこかで会おうぜ。」と陽気に握手しました。ドイツ人のウドは寂しそうに、「ドイツに来るときは必ず連絡してくれよな。」とテニスの時と同じことをくり返しました。
一番言葉を交わしたかったマリアは「私は2か月コースをとって、その後パリに滞在するの、ひょっとすればパリで会えるかもね。」と言って握手してくれました。
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