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Upper Westside でのFarewell Branch

 3年間のレジデント研修がゴールにさしかかった1983年の6月だったでしょうか、指導医の一人のスティーブがしゃれた店があるので、今度の日曜にブランチを一緒にしないかと誘ってくれました。
スティーブは当時、まだレジデントを終えて5年ほどの若手の家庭医でした。彼は非常にエネルギッシュで、いつも冗談ばかり飛ばしている男ででした。人情味もあり、僕が交通事故で入院し、一ヶ月で職務復帰したときは、人前にも関わらず抱きしめて涙ぐんでくれたほどです。

 日曜の朝11時に待ちあわせたレストランは、アパーウエストサイドの古いビルの一階にありました。ビル自体は古いのですが、居心地よさそうに改装されています。アパーウエストサイドは、当時からビレッジに次いでお洒落な若者の街として知られていました。ニューヨークのサンデー・ブランチには、グラス1杯のシャンパンがサービスで付いてくるのです。これをチビリチビリ飲みながら、スティーブは機関銃のように喋りまくります。レジデント時代に書いた症例報告の原稿を車の中に置いておいたら、 その車が盗まれてしまった話や、その当時流行った映画のキャット・ピープルのナスタシア・キンスキーに首ったけである話とかをとりとめもなくしていたように記憶しています。

 でも、最後の方は少し真面目な表情になって、「僕はマンハッタンで、家庭医として開業しようと思っているんだ。恐らく専門医万能のマンハッタンでは、採算は合わないかも知れない。でも、やっぱり、そういうチャレンジをしてみたいんだ。トモユキも、日本に帰ったら、国立病院で家庭医療学の指導医の草分けになるんだろう?お互いに頑張ろうよ。」とエールを送ってくれました。

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木戸友幸
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