ブルックリンこぼれ話(48) 
                
              ハン先生の思い出 
                
                 ハン先生は、クイーンズの病院の家庭医療学科のディレクターをしていた韓国系の先生です。
                80年代前半の当時、50代くらいだったので、日本語教育を受けた世代でした。 
                実際、かなり流ちょうな日本語を操られました。何度かマンハッタンの高級韓国料理屋で御馳走になったのですが、少し親しくなってからは、そういう機会に自らのレジデント時代の苦労話をしてくださるようになりました。
                
                1年目のいわゆるインターンの頃の話です。
                当直の夜に、採血した血液検体を検査室まで運ぶのに、階段を走って駆け降りていたときに、転んでしたたかに頭を打ち、検体の容器も壊してしまい、血液が流れ出てしまったのだそうです。
                3日に一度の30数時間労働で、頭も身体もフラフラの時のことです。
                パニックに陥ってしまい、「ああ、 大の男が深夜、病院を走り回って、ひっくり返り検体までおじゃんにしてしまった。一体俺は、アメリカくんだりまで来て何をやっってんだろう。」と階段の踊り場で大の字に寝転がりながら、涙が出てきて止まらなかったそうです。
                その当時、僕も1年目レジデントでちょうど同じような境遇にあったときです。
                ハン 先生の思い出話に思わずもらい泣きしてしまいました。 
                
                僕がレジデントを終え帰国し、数年経った頃、やはり厚生省からの留学でI先生がブルックリンの病院にレジデントとして留学することになりました。
                80年代後半にある機会を利用して、そのI先生を励ます意味もあり、久々にブルックリンを訪れました。
                その時も、ハン先生に連絡をとって、I先生も含め、3人でマンハッタンで韓国料理を食べました。
                僕ら日本人二人は食が細く、「君達、もっと食べなきゃ、身体持たないよ!」とハン先生に叱られてしまいました。 
                それから数年後に、ハン先生は在米のままお亡くなりになったと風の噂で聞きました。 
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