ブルックリンこぼれ話(31)
ヴィレッジの思いで
ヴィレッジというのは、僕がマンハッタンで見つけたアパート周辺の地名「グリニッジ・ヴィレッジ」の省略形で、ニューヨーカーなら皆そう呼んでいます。
ヴィレッジでの生活を紹介するとなると、どうしてもナイト・ライフが中心にならざるを得ません。ヴィレッジの夜の楽しみの定番が、ジャズ・クラブです。このジャズ・
クラブ巡りを僕に指南してくれたのが、H先生です。彼は、その当時ニューヨーク近郊の大学に研究留学していた日本人医師なのです。医学部の学生時代は、軽音楽部に所属し、ジャズの演奏をしていたこともあり、こちらのジャズ情報にやたら詳しかったのです。
H先生は、金曜の夕方に僕のアパートに訪ねてきて、一緒に和食レストランで夕食を とった後、ジャズクラブ巡りをするのです。ジャズ・クラブは、夜の9時くらいにならないと開きません。9時から深夜までが、前半のセッションで、ちょっとした中休みがあり、後半セッションは、興が乗れば朝まで続きます。その間、安い入場料さえ払えば、別に飲み物一つでずっと粘っていてもいいのです。
H先生は、演奏の間もジャズに関わる面白い逸話をいろいろ教えてくれました。マイルス・デイビスはコカインの吸いすぎで鼻中隔が溶けてしまったという話も、確かその頃、彼が教えてくれたゴシップです。
日野てるまさは、その当時「セブンス・アヴェニュー・サウス」というジャズ・クラ ブの専属で演奏していました。そこは、日野が演奏しているため、日本人の客も多かっ
たのです。我々も、ときどき行きましたが、その当時、ニューヨークに留学していた、中村メイコの娘をたまに見かけました。
帰国してからは、ジャズクラブに足を運ぶことはありませんが、パーでジャズがかかっていたりすると、ヴィレッジ時代のことを必ず思い出します。
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