日米医療事情くらべ(2)
医学博士:日本の場合、アメリカの場合
保健同人社「暮らしと健康」1982年6 月号掲載
学位とは、足のうらの米つぶのようなもの
医学博士号を医師の間では、学位といっているが、この学位に関するジョークで、医師なら誰でも知っているものがある。いわく、「学位というのは、足の裏の米粒のようなものである。なぜなら、取らないでもどうということはないが、やはり取らないと気持ちが悪い。」もう一つ落ちがついていて、「取ったところで食えない。」というのである。なかなかよく出来てはいるが、笑えないジョークである。
このように、日本の医学部を卒業した医師の最大の関心事の一つは、いかにして早く学位を取るかということである。そのために、将来臨床医を目指す者でも、卒後基礎医学の大学院に入って、学位論文を4年でまとめてしまう医師が多くいる。これだけの時間と情熱を学位獲得に示しながら、前述のジョークにあるように、内心は取らないでもどうということはない、と思っていることも事実である。
さて、アメリカで日本の学位に相当するのは何になるのだろうか。はたと頭を抱えてしまう。恐らくphD(ドクター・オブ・フィロソフィー)になるのだろうけれど、こちらでは誰も医師の取るphDを、足の裏の米粒だとは考えていない。医師は署名にMD
(メディカル・ドクター)を付けることになっているが、このMDの後にphDが付いていたら、それこそ畏敬の目で見られる。恐らく全米のMDの5%もphDは取っていないだろう。だからMDプラスphDというのは、アメリカでは学者の中の学者なのだ。ついでに、説明しておくと、日本語に直訳したら、医学博士になるMDという称号はアメリカの医学校を卒業した者全員に与えられる。だから、MDというのは医師と同義語である。
そういうわけなので、アメリカの若い医師で、基礎医学に情熱を燃やす者はあっても、何が何でもphDと、それが目的で頑張っている医師は見たことがない。それにもう一つ加えると、卒業直後の一番臨床訓練に適した期間を、phDとはいわなくても、論文で名前を売るための研究に時間をさく医師というのも、ほとんど聞かない。
学位がなくなったら日本の医学が衰退するか?
日本の学位肯定論者ー医学部教授あるいは、その予備軍の大部分。何しろ教授の権力の源は、この学位を与える権利から来ているので、これが無くなったら大変だーの意見は、学位が無くなれば、地道な基礎的な研究に従事する人間が減って、皆、安易な臨床に走り、それがひいては、日本の医学の質の低下につながるといった感じのものになると思う。確かに、こちらの図書館でインデックス・メディクスという、世界中の医学論文の標題と著者の載っている本を開いても、日本人の書いた論文は、アメリカ人の次くらいに多い。だから数の上からみれば、学位の医学研究に果たしている役割は、ある程度認められるが、質を問題にすれば、どうも疑問である。
学位取得のために研究している医師ーそしてそういう者が圧倒的に多いーが果たしてどれほどのよい研究をするであろうか。また、そういう医師のほとんどは、学位さえ取れば、その研究を継続するということはないであろう。そのことからも、質が疑われる。逆に、本当に研究が好きでやっている人は、学位があろうとなかろうと、自分の研究を地道に続けるであろう。そして、そういう人の持続的な研究こそ本当に医学の発展
に必要なものなのだ。
だから、私は学位が無くなっても、決して日本の医学の質が低下するとは思わない。むしろそのことにより、より多くの若い医師が、より多くの時間を臨床の訓練に割く
ことにより、医療の質の向上につながるだろう。また、医学部教授の権力を低下させることにより、医学部お封建制が改善され、この方面からも医師研修の質が向上するようになるだろう。
(注)前回に書いたが、日本の卒業直後の医師研修の80%は大学付属病院で行われる。
大学病院の医師は救急患者を診れない?
アメリカの病院の入院患者の平均入院日数は、日本のそれに比べ非常に短い。これは、この国の医療医の法外といえる程の高さと、健康保険制度の不備によるところが大きい。そのことは、アメリカ医学の大きな問題点の一つになっているのだが、そのことについては、今ここでは触れない。
要するに、こちらで入院している患者というのは、本当に入院を必要とする患者、すなわち重症の患者がほとんどなのだ。だから、日本の病院でよくある、患者の週末の外泊などというのは、こちらではちょっと考えられない。外泊できる患者が何故外来で診れないかというわけである。
ニューヨークの市立病院では、犯罪がらみのものも含めて、市の救急のほとんどすべてを引き受けているので、入院の7割程度が救急室から直接のものである。救急室でも病棟でも、患者をまず最初に診て治療するのはわれわれレジデントと呼ばれる研修医である。もちろん、診断、治療は常に年次が上のより経験を積んだレジデントの指導、監督のもとに行われる。こういう訓練を専門医になる前に受けているので、アメ
リカの医師は概して幅広い臨床経験を持った者が多い。病理学者でも、インターン時代に心筋梗塞を自らの手で治療したことがあるのだ。
日本の病院、特に医学部卒業後の研修が主に行われる大学付属病院では、大部分の患者が慢性疾患患者で、医師は情熱は治療というより、むしろ学問的な興味に注がれているようである。そして驚いたことには、多くの病院では救急患者はとらないのである。
その理由として、大学病院は入院患者の専門的治療あるいは研究を本来の仕事としているので、とても救急まで手が回らないと言っているのだが、本音は、日本の大学の医師というのは、本当の意味での救急を診れないのだと思う。私自身が日本の大学で卒後研修を受けたので、これは私自身の反省ととってもらったほうがいいだろう。自らが、救急疾患に関する訓練を正式に受けたことがないのだから、それを後輩に秩序だって教えられないのは当然だ。
救急車よこちらに来ないで、と祈る一人当直のバイト医師
わが国で救急指定病院というと、市街地の病院に多いが、それらの病院は例外なく人手不足なので、大学の研修医たちは、アルバイトと救急の勉強を兼ねて、月に何回かそういう所へ出向くことが多い。しかし、それらのアルバイト先では、一人当直のことがほとんどで、すべての判断は無力な研修医にまかされるのである。
私自身の経験からすると、あの心理的なストレスというのは、ちょっと書き尽くせないほどのものである。救急車のサイレンが近づいてくる時から、不安で胸が高鳴って
くる。患者の診断が自分なりにはっきり下せなくても、患者は苦しがっている。何か治療を始めなければ・・・。最初に選んだ治療がまったく効果がなかったりすると、
こちらの方が泣き出したくなってくる。しかし、泣き出すわけにはいかない。治療の指示を下せるのは、病院中で自分一人しかいないのだ。
こういう経験を何回が積むと、書物からの知識や、後からの耳学問で自分なりの自信のようなものが出来てくることは確かであるが、アメリカでちゃんとしたシステム化された臨床訓練を受けてみると、日本でやっていたことが、いかに無駄が多く、また自分なりに自信を持っていたことのいくつかは、誤りであったことが分かった。
日本の大学病院の教授連に「大学医学部の使命は?」というインタビューをして回ったら、恐らく例外なく「臨床、研究、そして教育」という答えが返ってくるだろう。
しかし、素直に考えてみて、世の中で、誰が一番切実に医療を欲しているだろうか。 頭が痛い、腹が痛いと救急車で駆けつけてくる救急患者であることは当然の理である。
それを受け付けなくて、何の臨床であろうか。ひいては、何の教育、何の研究、いや何の医学であろうかと言いたい。日本の医学界における大学の影響力というのは、想像を絶するものがある。それだけに、大学が変わらない限り、医学界全体も変わらない。そういう意味で、日本の大学で救急を含めたよりシステム化された臨床教育を望
みたい。
医師国家試験の合格率を上げるため、なりふりかまわず
風の噂で聞いたが、何でも昭和56年度の医師国家試験で、問題が事前に漏れるなどの不正があったという疑惑が持たれ、無効やり直しの意見まで出たそうである。私自身
も比較的最近(昭和52年)国家試験を受けたので、あの試験がいかにやっかいな代物であるかは、よく分かっているつもりである。しかし、それにしても、日本の医学生のあの試験に対する準備はやや異常なものがある。
一部の医学部では、最終学年の多くの時間を、国家試験の予備校まがいのことに費やしているとも聞く。医師国家試験の合格率は、新聞にも出るし、各大学にとっては、
威信をかけた一大事なのだ。日本の医学生の教育というのは、こういう数字の現れるものに対しては、熱心になる一方、あまり数字で出てこない、言い換えると、他校と比較される心配のない臨床教育といったものに関しては、さして力を入れていないようである。このことは、前述した卒後の臨床教育の不十分さと密接に関連している。
どちらがニワトリで、どちらが卵か知らないが、どちらにしても、日本の臨床医学の発展ということからすると、その出発点でつまずいているようなものである。
アメリカの医学生の時間的なハードスケジュールと比べると、日本のそれはお話にならないくらい楽である。もっとも、このお陰で、私自身は個人的には非常に利益をこおむった。すなわち、6年間の医学生の間に、2年間、週3回の英語学校に、1年半はやは週3回のフランス語学校に通うことが出来たし、2回のヨーロッパ旅行ー各々1ヶ月
と2ヶ月ーを楽しむことが出来た。もちろん、その資金稼ぎの家庭教師のアルバイトの時間も何とかひねり出せた。だから、これを批判することは、あまり気は進まないのだが、やはりやらねばならないことは、誰かがすべきであろう。
医学生の彼女を誘ったらデート中に3回も居眠りを
さて、アメリカの医学生の厳しい生活を2つの例で示そう。
まずその1。アメリカの医学校は、4年制の大学を卒業した後入学するので、4年間である。そして3年になると、各科を4〜5人のグループで回って臨床訓練を受けるのだが、その時は、回っている病棟のインターン(1年目レジデントと同義)と1対1で組んで、ずっと行動を共にするのだ。
インターンは3日に1度の当直があるのが普通だが、もちろん組んだインターンが当直の時は、学生も当直しなければならない。私が内科でインターンをしていたときに付いていた学生のベンが面白い話をしてくれた。彼が同級生の女の子を誘ってデートに行ったところ、食事中に彼女が3度も居眠りしたので、デートにならなかったいうのである。
その2。これは、今、私の所属する家庭医療学科のチーフレジデントをしているオルリーから聴いた話である。彼は東部のさる有名な医学校を卒業したのだが、そこは学生の教育も、アメリカの中でも厳しい方であった。特に外科がこたえたという。外科は、全国的に朝7時に回診を始めるのだが、医学生はその1時間前に病棟に到着して、自分の受け持ち患者のカルテにある検査値などを綿密にチェックして、回診に備えな
ければならない。また、日中の病棟での仕事もたくさんあって、当直でなくても帰宅 は7時過ぎになる。ちょうど、それが冬の日の短い時期だったので、その1ヶ月中、オルリーは太陽を一度も見なかったそうである。
しかし、こう書いたからといって、日本の医学生は遊んでいるわけではない。これでも医学部は、日本の大学の学部の中では一番きついところなのだ。嗚呼。
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