ブルックリンこぼれ話(26)
ヤンキー・スタジアム
2003年のシーズンからの松井のヤンキース入団で、ヤーンキースが俄然注目を集めています。
僕がニューヨークでレジデントとしての生活を送っていた80年代前半当時も、ニュー ヨーカーにとっては、ヤンキースは特別な存在でした。
シーズン中はすべてのヤンキー スの試合はテレビ放送がありました。このヤンキースの中継をヤンキー・ベースボールと呼んでもました。(そのまんまですが。)
入院中の患者の楽しみといったらテレビくらいしかありません。午後7時くらいに病棟を回ると、ほとんどの男の患者さん は、ヤンキー・ベースボールを観戦していました。
ヤンキー・スタジアムにも何度が足を運んだことがあります。
この球場は、マンハッタンの中でも、ブロンクスと呼ばれる、かなり危険な地区にあります。
でも、試合の時は、地下鉄を利用して、人の流れに乗っている限りは安全なのです。外野席だと、予約もなしに数ドルの入場料で入れたように記憶しています。
野球好きの一年上のレジデントのオルリーと一緒にスタジアムに行ったときの話です。僕らのちょうど後ろ の席に、酔っ払いの黒人のおじさんが観戦していました。ぶつぶつ独り言を言いながら、ときどき茶色の紙袋に隠したアルコールを口に運ぶのです。僕には言ってることが理解出来なかったので、まあおとなしく観戦してるんだからいいか、くらいの気持ちでいました。
すると、野球好きのオルリーが僕に教えてくれました。「後ろの酔っ払いのおじさん、スゲー野球通だぜ。バッターやピッチャーの癖まですべて知ってるんだから。」ぶつぶつつぶやいていたのは、すばらしいプロの野球解説だったようです。
この試合で、当時4番を打っていたレジー・ジャクソンがホームランを打ちました。 このジャクソンが、2003年のキャンプ中の松井を見て「彼なら、大リーグでも十分通用する。」と太鼓判を押したのです。
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