ブルックリンこぼれ話(11) 
Brighton Beach Memoir
ブライトン・ビーチ・メモワールは、ブルックリン出身の有名な劇作家、ニール・サイモンの舞台劇の題名ですが、ここではこのまんまの意味です。僕がNYで一番最初に住んだブルックリンにあるブライトン・ビーチというところにまつわる話題です。
ブライトン・ビーチは別名リトル・オデッサなどとも呼ばれています。旧ソ連から移住したロシア系ユダヤ人の街だからです。街を歩くと、聞こえてくるのはほとんどロシア語ばかりです。ミステリー小説好きの人は、リトル・オデッサなどと言うと、どこかでその名を目にしているかも知れませんね。いわゆるロシアン・マフィアのアメ
リカにおける一つの基地であるとも言われているです。
僕は渡米して一年間ほど、ブルックリン南部のシープスヘッド・ベイという小さな漁港のある街に住んでいました。ここから地下鉄(といっても高架なのですが)で2駅目がブライトン・ビーチなんです。シープスヘッド・ベイから一番近くの映画館があるのがブライトン・ビーチなので、映画を観に何回か行ったことがあるのです。
最初にここを訪ねたときは、そのロシア風のたたずまいが珍しかったもので、病院で何人かの人にその話をしました。ブルックリンのその病院では、白人の医師のマジョ
リティーはユダヤ系なのですが、そのユダヤ系の医師が、ロシア系ユダヤ人のことを糞味噌にけなすんです。「あそこはみすぼらしくて臭いロシア系ユダヤ人だらけだから気をつけろ。」みたいなびっくりするようなことを言うんです。後で分かったことなのですが、これは、かなり一般的な見方らしいです。経済的に苦しく、英語もあまり上手でないロシア系ユダヤ人は、アメリカのユダヤ系社会のなかでも差別されているようなのです。
日本ではロシア系ユダヤ人と言えば、「屋根の上のバイオリン弾き」や画家のシャガールを思い浮かべる人も多く、決して悪いイメージではないと思うのです。こういう人種にまつわることは、現場で体験してみないと分からないことが多くあります。
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