家庭医木戸の現場報告(21)
(JECCS News Letter 2024年4月号掲載)
特養悲喜交々(ひきこもごも)
1)93歳の女性が転倒したとのことで診察した時に右上腕の浮腫に気づきました。本人に訊くと「私は右利きやから、昔から右腕は太いねん。」と躊躇なく即答。上半身を診察すると、右乳房にうっすらと手術跡がありました。乳癌手術後のリンパ浮腫の可能性が伺えました。本人は、乳癌手術のことは、この見事な返答から分かるように、すっかり記憶から消えています。これまで複数の施設を転々としていたので、乳癌の病名は過去の資料のコピーを数年遡ってやっと見つけました。
90歳を超えた超高齢者は、その子供も高齢者で、情報を提供してくれるキーパーソンは、甥、姪、孫ということも多く、正確な病歴をとることは至難の業なのです。
2)41歳女性,特養では珍しく若い女性が入所しました。彼女は、4年制大学卒業で、就職した会社でも優秀な社員だったそうです。20代半ばで結婚、30代半ばから認知症症状が出現し、30代後半から症状が悪化しました。そのため家庭生活が困難になり、施設入所となりました。41歳で当特養に入所した時は、家族の認識はまったくできず、会話もまったく不能、意味不明のことを大声で叫ぶのみの状態でした。若年性アルツハイマー病ですが、両手は手専門モデルができるほど綺麗で、爪もマニキュアを塗ったように見事なピンク色でした。しかし、入所一年を過ぎると、食事を吐き出すようになり、どんどん衰弱してきました。月に2度、往診してくれる精神科医によると、脳細胞の萎縮が進み、食物を食物とは認識できなくなって、吐き出すのだということでした。
3) 63歳男性。50歳時に脳梗塞で右半身麻痺。地元では職が見つからず、来阪。日雇いの仕事を見つけたが、障害のため1日で解雇されました。それから関西を転々とし、数年後に障害者施設に引き取られ、その後、当特養に入所となりました。昔、結婚した妻とは一男一女を設けましたが、離婚。その後、同じ女性と再婚しましたが、再度離婚。その女性は離婚後、自死しました。息子も死亡し、娘は父との連絡を頑なに拒否しました。結局、この男性にとって頼れる家族は誰もいなくなったのです。
4)特養入居者のインフルエンザワクチン接種時、80代後半女性に「田中京子さん(仮名)ですね。ワクチン打ちますよ。」と話しかけましたが、返事がありません。「田中さんですよね。」「今のところは。」「ええっ、どういうことですか?苗字が変わるんですか?」「カイミョ」「ええっ、何ですって?」「だから、戒名。」このやり取りに、周りの看護師も介護職員も大爆笑。さすが、関西人です。少々、認知症が入っていても、笑いと取ることに関しては貪欲です。
特養の管理医師を務めて、もう7年になります。入所している人達は、病院勤務の時や開業していた時とは、かなり事情が違っています。最初の頃はかなり戸惑いもありましたが、だんだん慣れてくると、入居者の医学的、社会的、経済的な人生全体が見えるようになってきました。それらが分かったからといって、その人に何か役立つことをしてあげられることは、滅多にありません。しかし、できる範囲で、その人のこれまでの人生の記録を紐解くことによって、その人に少しでも寄り添った会話はできるようになります。(会話が可能な場合はですが・・・)そんなこんなで、特養医師の仕事は、総合内科医の最後の仕事として、ふさわしいものじゃないかなと感じるようになっています。