家庭医木戸の現場報告(20)
(JECCS News Letter 2023年10月号掲載)
濫読の勧め
2022年末から2023年春にかけて、米国人女性作家Lucia BerlinのA Manual for Cleaning Womenという短編集を読みました。Lucia の父は鉱山技師で、少女時代は鉱山のある米国各地とチリなどで比較的裕福な生活を経験し、1960年代から作家活動も始めます。この短編集は彼女の死後11年経った2015年にアメリカで出版され何とベストセラーになったのです。日本でも「掃除婦のための手引書」という邦題で、ある程度の話題を呼びました。
こう紹介すると華麗な人生のようですが、彼女は重度の脊柱側湾症を抱え、2度の離婚を経験し、アルコール依存症にも悩まされました。生活も苦しく、家政婦や病院の救急室の受付などで生計を立てながらの執筆活動だったようです。この短編集は、彼女の多彩な体験をもとにして生まれた半自伝的な短編集なのです。私がこの作品で最も惹かれたとことは、1960年代70年代という作品の時代背景でした。この頃の米国事情の一端は、私の10代前半の頃のテレビの米国製ホームドラマなどで、今でもくっきり記憶に残っています。また、ブルックリンでの3年間を研修医として過ごした80年代初頭も60~70年代の名残は少しはありました。
その当時の世界は、世界のスーパーパワーの米国と、それに追いつきたいソ連が睨み合う時代だったのですが、実際は中産階級にも経済的な恩恵が行き渡っていた米国では、高度成長期だったようです。そこで、この短編の読後すぐに読み直そうと思ったのが、デイヴィッド・ハルバースタムのザ・フィフティーズ3巻(新潮OH!文庫)でした。この本は20年前に読んだのですが、米国の高度成長時代とも言える1950年を描いたノンフィクションです.高度成長とはいうものの、国内では黒人差別問題、海外ではソ連との冷戦時代の先駆けになるような様々な事件が次々と起こった時代です。これを、政治、経済、果ては大衆芸能に至るまでを、各400ページ内外3巻の膨大な量・質で書き上げた作品です。
ザ・フィフティーズを再読した後、Lucia Berlinの短編集を再検討してみました。彼女が様々な逆境を乗り越えて、死後ではありますが、世界的なベストセラーをものにしたのは、花の50年代の後の60年代、70年代の米国社会の安定の為せる技だったと思うのです。当時の米国以外の世界のどこの国でもLucia Berlinの境遇に陥った女性が、世界的な快挙を成し遂げることは奇跡に近いことだったと思います。
ということで、皆さんにお勧めしたいことは、濫読の勧めです。私は小学校時代から活字中毒で、何か読むものが無ければイライラ症状を起こす子供でした。70歳を過ぎた現在、この性格は悪くなかったなあと思う今日この頃です。濫読の性格は現在もまったく変わっていません。しかし、これまで読んだ作品は、内外問わず数限りなくあります。今回の例のように、ある作品に感動した時、それに関連する作品を読み返すことがよくあります。そのことにより、感動作品の背景がより明らになり、その感動が更に増し、自らの次のステップを考える縁(よすが)になるのです。
今回は、この連載の主題の医業から少し離れた話題になりましが、この連載をお読みの方々にぜひ今回の感動をお伝えしたく、この話題を選んだ次第です。