家庭医木戸の現場報告(14)
(JECCS News Letter 2020年10月号掲載)
介護施設でのコロナ死に思うこと
2020年8月20日の日本経済新聞朝刊に「介護施設感染予防急ぐ」という記事が掲載されました。この記事では、今回の北米やヨーロッパ諸国での新型コロナ感染症での死者の非常に多数が高齢者が集まる介護施設で起こったということが、公開されているデータを添えて示されています。どのくらい多いかというと、何と40~80%が介護施設で亡くなったのです。国全体の死者数は、この連載執筆時の9月初旬で、アメリカが断トツの18万人、ヨーロッパ諸国が数万人ずつですから、この割合での実数はかなりの数です。この事実を踏まえ、日本の高齢者介護施設も検査回数や人手を増やし、施設での高齢者の多数の死亡を予防しましょうと締めくくっています。
確かに、一般の読者が読めば、まったくその通りの真っ当な主張だと思われるでしょう。当連載でも何度か書きましたが、私は2016年より、特別養護老人ホーム(特養)の院長として勤務しています。ですから、2020年春頃から高齢の入居者をコロナから守るための情報を精力的に収集していました。ですので、この日経記事の執筆者が明らかに見過ごしている情報を、この記事の出た8月20日の時点で知っていました。別に秘密情報でも何でもありません。立派な公開情報(ネットも含む)です。
今春、コロナ感染重症者の入院が急増したヨーロッパ諸国、それに引き続いて北米(アメリカ、カナダ)では、医療崩壊をきたし、ほとんどの国で数の限られた集中治療室での治療に年齢制限をかけたのです。そのため、介護施設から入院した高齢者の多くは、入居先の施設に送り返されたのです。医療に携わっておられない読者の方には、信じられない事実でしょうが、欧米の医療では治療の優先順位をデータに基づきかなりドライに決断します。国民もある程度、この決断を支持しています。例えば災害の時の救急医療では、トリアージュと呼ばれる治療の優先順位の決定がまず行われるのが普通です。日本では、この決定に不満を持つ患者あるいはその家族が未だにかなり多いようです。
それに輪をかけて施設での死者増加の要因になったのが、特にヨーロッパ諸国での最近10年ほどの移民労働者の増加です。彼(彼女)らの多くは自国民が好まない介護職を低賃金で担っています。極めて賃金が低いので、少々体調が悪くても仕事を休めないのが現状です。ですから、介護職員が病院から戻された入居者から感染し、それをまた他の入居者に感染させるという悪循環が起こったのです。
日本では9月時点で、全体の死者数が千数百人と欧米感染多数国より二桁少ないので、これまで結果的には医療崩壊は起こりませんでした。しかし、梅雨時くらいの時点では、先行きが見えず大都市の集中治療室は飽和に近い状態でした。それでも、重症化しやすい高齢者を施設に送り返すということは、どの病院でもしませんでした。本来日本に責任のない海外クルーズ船の重症患者まで入院させた国ですから。ですから、日本でも死者の中での高齢者の割合は多いのですが、その死亡場所は施設ではなくて病院なのです。ということで、日本の高齢者施設での死亡者の全体死亡者に対する割合は、公表はされていないものの恐らく10%内外だと思われます。
さて、ここまで読み進まれた読者の方々に質問です。今回、日本全国の病院が新型コロナ感染の入院治療においてとった行動を、「人の命は、年齢に関わらず平等だ」といった感じの美談ととるか、あるいは、これからの人生がまだ長い若者に医療を優先するという欧米諸国がとった医療行動を美談とは言わずとも、必要悪(悪かどうかは別ですかね)ととるかということです。
今回のコロナ感染症は、偶然の要素もあり、日本ではこれ以上に悪化することはなさそうに思えます。ですから、私が一番恐れているのは、全体の死者が少なかったことや、介護施設での死者が少なかったことが、成功体験として捉えられ、これ以上議論されないことです。
これから先、世界を揺るがす新ウイルスのパンデミックが起こらない保証はなく、むしろ繰り返す可能性の方が圧倒的に高いのです。次回のそれが日本人にとってまったく不利なものかも知れません。その際、病院崩壊が起きることを想定して、患者年齢を含めた治療優先順位についての困民的議論が必要だと強く思っています。
以下は、日本経済新聞に投稿した文章ですが、残念ながら掲載はしてもらえませんでした。同様のテーマなので参考にしてください。
私見卓見
2020年8月20日の貴紙の「介護施設感染予防急ぐ」を拝読し、特別養護老人ホームの管理医師を務める医師として、意見を述べたい。
記事によると、北米および西ヨーロッパ諸国では、新型コロナによる死者に占める介護施設入居者の割合が40~80%という多数に及ぶという。日本は死者の属性の明確なデータがないが、恐らく高齢者も病院死がほとんどで、施設での死亡は多くても10%そこそこだと思われる。北米、西ヨーロッパで施設死が多い理由は最近かなり具体的に判明してきているので、先ずこれについて述べる。西洋諸国では、元々、医療の優先順位がかなり明確であったが、今春、これら諸国が新型コロナ感染症で医療崩壊に陥った時に高度医療の優先順位から先ず外されたのが高齢者であった。これら高齢者が戻された場所が介護施設で、これらの施設では医療設備も医療者数も乏しいためクラスターが発生し多数の死者が発生した。また、特に近年、西ヨーロッパ諸国では移民が急増し、介護施設の職員として多数が勤務している。彼(彼女)らの賃金は極めて低く、少々の症状が出ても仕事を休まず(休めず)、それが感染の増加をより高めた。
翻って日本の介護施設の状況を説明する。
国民性も影響しているのか、日本ではどの患者を優先的に診るかというトリアージは、徹底していないのが現状である。ましてや高度医療の施行に際し、これを年齢によって優先順位を決めることなどほぼ皆無である。
介護職員の外国人職員の割合は最近増加しつつあるが、西ヨーロッパ諸国の比ではないし、日本人職員と賃金差はほとんど無い。しかし、日本の介護施設職員の給与は他分野の職種のそれに比し、若干低いことは事実であるし、その仕事内容は肉体的にも精神的にもかなり厳しい。そのため離職者も多い。また、介護施設そのものの運営も経済的にかなり厳しく、欧米の施設の様に、原則個室というわけにはいかず、いったん感染者が出れば、隔離もままならない。
さて、欧米での介護施設入居者のコロナ死亡者が多い理由と、日本の状況を説明した上で、その対策の試案を述べる。
幸い、8月現在、日本では全体の死亡者数が西洋諸国に比して極めて少なく、高齢者の施設での死亡の実数もその割合も少ない。しかし、この先、感染が長期化すれば、死亡リスクが高いのは、施設入居の高齢者である。その対策としては、短期的には、介護職員の給与面での待遇改善をして、その数を増やし、職員一人一人の負担を軽減し、感染防止対策を徹底させることである。長期的には、経営的に苦しい施設にも援助をし、個室の増加を始めとするクラスター防止策を充実させていくことが必要と思われる。どちらにしても、これには政治の関与が不可欠である。