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医学教育  

ボタン 日本に家庭医が育たないのは医学教育が悪いからか  ボタン

Academia学術新報 1990年 No 158
医療法人木戸医院 木戸友幸

はじめに
 その国の医療の根幹は、一般開業医によるものといっても過言ではないであろう。幸い、日本は現在、平均寿命や乳幼児死亡率などの国の医療の質を表す指標では世界の トップの位置にある。しかし、これを支えてきた従来の開業医は平均年齢は60歳に近づき、若手医師の開業医への新規参入は減少してきている。これに加え、医療により 高い質を求める患者は、開業医を離れ、大病院へと流れている。これらの現象にはい くつかの理由が挙げられるが、筆者はそのもっとも大きな理由が日本の医学教育にあると考える。

理想の家庭医と現実の家庭医
 理想的な家庭医とはどのような医師をいうのであろうか。これまでに行われた様々なアンケート調査と筆者自身の意見を併せてみると、重要な要素は3点あると思われる。
1)近くにあって、いつでも何でも診察してくれる。(便利さ)
2)診断、治療が的確で、その説明をきちんとしてくれる。(正確さ)
3)入院による診断、治療が必要な 時は速やかに適当な病院を紹介してくれる。(アフターケアー)
 それでは日本の開業医の現実はどのようなものであろうか。比較的年配の経験を積んだ開業医であれば、いつでも何でも診察してくれ、その医師なりの説明はしてくれることが多い。しかし、診断、治療の質となると千差万別で、患者からは判断不能である。若手の開業医の場合は、自分の専門とする領域のこと以外にはあまり熱心でない傾向がある。また、患者とのコミュニケーションが得意でないことが多い。そして、 老いも若きも開業医は、保険診療に縛られているので、患者一人当たりの診療時間は 非常に短い。

日本の開業医の成り立ち
 この理想と現実のギャップの理由を説明するためには、日本の医師が開業するまでに受けるトレーニングについてざっと述べる必要がある。
日本の医師が医学部を卒業すると2年間の卒後研修を受けなければならない。その卒後研修の8割が大学病院において行われている。大学では縦割りの専門制が敷かれて いるので、そこでの研修はある疾患にかたよったものになりがちである。卒後研修を 終えた医師の大多数は、大学の医局に所属する。そこでは主任教授の指導のもとに主に基礎医学的な研究に従事する。その間、同時に臨床に従事するとしても、研修時代より以上に狭い専門領域に限られたことしかできない。このような生活が4〜8年ほど続く。この研究の成果として学位論文を書き、医学博士号を教授より授与される。この後、医局人事で関連病院での勤務を数年経験して40代で開業する。このようなところが、これまでの典型的な開業までの背景であろう。もっとも最近は経済的な理由もあり、勤務医志向が強まり、開業に転ずる医師がどんどん減少している。 いずれにしても日本の開業医の大多数は、家庭医に必要な幅広い臨床教育を受ける機会はなく、ましてや患者とのコミュニケーション法の教育など受けるべくもない。家 庭医にこだわらなくて、専門医として開業するにしても、日本の医師の受けるトレーニングは、米国などと比較するとあまりに研究的な色彩が濃く、実際的な臨床訓練に欠けている。

米国の場合
 米国では現在、家庭医は、内科、外科などと肩を並べる専門医である。ちょっと話はややこしいが、医学部卒業後、3年間の研修を受け、専門医試験に合格して始めて家庭医を称号できるのである。3年間の研修期間中には、内科、小児科、産婦人科など の幅広い臨床訓練を受け、患者とのコミュニケーション術などを主に教わる行動科学も必須科目になっている。
米国での専門医の卒後研修システムは、特に第二次大戦後、洗練を重ね、世界のトップレベルのものになった。この研修を受けて、ほとんどの卒業生が従来の意味での専門医になっていったので、一般開業医のなり手がなくなってしまった。このため、市民の代表からなる委員会が家庭医の必要性を訴える報告書を提出した。これを受けて出来たのが、専門医としての家庭医である。
この米国の家庭医は、20年の歴史を持つにいたり、この間に毎年、研修を終了する研修医の数は、内科、外科に次ぎ、全専門科中、第3番目になるまでの成長をとげてい る。このため、20年前、50代にピークを持っていた米国の家庭医は現在30代がピークになるまでに若返っている。
家庭医になるための教育は卒後教育のみではなく、現在、米国の大学医学部の8割以上が家庭医科を持っており、ここで学生に対する家庭医教育を行なっている。また専門医の資格を取った後も6年に1度の再試験を受けなければならない。

日本の医学教育の改善点
 大学医学部での教育と卒後教育の2つに分けて考えてみる。現在の日本の医学部に家庭医科を新設せよというのはやや非現実的である。現実的な線は、現在の講義中心で 網羅的な教育形態を、もう少し臨床中心ー診療に必要な実際的なノウハウを手取り足取り教えることーに変えることである。日本は明治時代にドイツから医学教育の方法論を学んだとされているが、その本家のドイツがとうの昔に米国式の臨床中心の教育に改善しているのである。この差がどうでるかは、日米の医学生を比較してみれば明確である。筆者の米国での体験からすると、米国の医学部卒業生は、日本の卒後2年間の研修を終了した医師と同等かそれ以上の臨床能力を持っている。何故これほど単純なことが根本的に改善されずに日本の医学部で何十年もまかり通っているのだろう か。医学部教官の意識の底には、未だに臨床は研究より格が下という考えが流れているように思える。 次に卒後研修に移る。日本の卒後研修は、米国を代表とする先進諸国のように各専門科毎の研修システムがきちんと出来ているわけではない。また前述したように、各大 学の意向により研修方針が異なるので、研修終了時の臨床医としての技量にばらつきが大きい。このような現状で、日本にも家庭医専門医の卒後研修コースを期待するのは、医学部教育においてと同様に現実離れしているが、これからの日本の家庭医の質を向上させ、その自覚と権威(少なくとも他の専門医と同等の)を高めるには、これは将来的に絶対必要である。もちろん専門医あっての一般医であるから、各専門科の研修システムも同時に整備されなければ意味がない。この時、大学は自らのエゴを捨て、このシステムを日本全国相互性のあるものにしたいものである。

改善の可能性
 この10年間、主に厚生省が中心になって家庭医の育成を目指して、卒後研修の改革に手をつけてきた。筆者もその関係者の一人として過程をつぶさに観察してきた。確かにこの間、会議、研修会、学会などは数多く開かれ、その度にもっともな意見が交わされた。しかし10年前と比べ、何か根本的な変化があったとは思えない。同様の方法であと10年続けても変化は起こらないような気がする。これは要するに、今の医学界にとって、良い臨床医とか家庭医を育成するとかいったことは、研修の時間をとられるだけデメリトになりこそすれ、メリットはなにもないということである。 ここ数年の間に少数の大学医学部と国立病院で、総合診療科を設立する動きが遅まきながら出てきた。これは、細分化されすぎて患者に不便をきたしている現在の大病院 のシステムを改善する目的に出来たものである。この総合診療科が、将来の日本の家庭医の研修の場になる可能性はある。しかし、この少数勢力のみで日本の医学界を動 かすことはまず不可能である。ここでまったく違うアプローチとして可能性のあるのは、受益者=患者からの要求を出すことである。腰の重い医学界も患者からの要求が大きくなってくると動かざるを得ない場合もある。この文章を読まれて賛同された方々が各地で`よりよい家庭医を`という運動を展開していただければ、これに勝る味方はないと思う。


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木戸友幸
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