家庭医木戸の現場報告(8)
(JECCS News Letter 2017年10月号掲載)
違法薬についての考察
ジェックス参与 木戸友幸
今回は最近、医療界だけではなく日本社会全体で問題にされている違法薬物について、家庭医としての考えを述べてみたいと思います。
何故家庭医が違法薬について語るのかと不思議に思われるかも知れません。私は1980年からの3年間、ニューヨークのブルックリンで家庭医療学の研修医(レジデント)として過ごしました。今からほぼ40年前のことです。この頃アメリカでは既に違法薬物が大きな社会問題になっていました。研修医の中にも薬物依存、特にコカインのために、治療を受けているものもそれなりの数でいました。患者にも薬物中毒が多くいました。そのため、研修項目の中に薬物中毒(アルコールを含む)の治療病棟での研修が一ヶ月間義務づけられていました。その体験から、当時でもアメリカでの薬物中毒の治療システムはかなりしっかりしていたという認識はありました。問題は、医療から離れた違法薬物の取り締まりの方です。これが、人手がないのか、まったくなっていなかったのです。例えば、我々が研修を受けた薬物中毒治療病棟のすぐ前の通りで、退院したばかりの患者が処方された治療用の麻薬や睡眠剤を堂々と売っているのです。もう一つの問題は、合法的に処方できる麻薬入りの鎮痛剤が多いことです。これはひょっとしたらアメリカ人自身は気づいていないかも知れません。痛みにストイックな日本人は鎮痛剤の1回の処方量も、その回数もアメリカに比べるとずっと少ないのです。麻薬入りの鎮痛剤に至っては、癌末期など以外では処方されることは皆無です。しかし、アメリカでは、腰痛や肩こりでも、程度がひどければアセトアミノフェン(鎮痛剤)とコデイン(麻薬)の混合剤が簡単に処方されるのです。当時、私自身が交通事故で肋骨を骨折して入院した時も、痛みのひどい最初の2〜3日は当たり前のように麻薬の注射を打ってくれました。確かに強い鎮痛作用と多幸感で有り難かったことは確かです。これら合法的に麻薬の効果を体験した人の数百人に一人が後年、麻薬にはまっていくことがあるらしいのです。つい最近読んだ経済誌によると、薬物中毒は現在アメリカ経済を揺るがす要因の一つにまでなっているのだそうです。
さて、私が今、週1回勤務している診療所は、地域柄、薬物中毒、特に覚せい剤中毒の患者が非常に多いのです。その中には、完全に薬から手が切れないで、何度も禁固刑を受けている患者もいます。還暦を過ぎても、まだ完全に覚せい剤から離れられないという患者もいますが、さすがにこの年齢になると、もうあの監獄暮らしには耐えられないと言って、薬には手は出しません。ですから、日本の違法薬物に対する厳罰主義はそれなりの抑止力はあるようです。しかし、我が国の問題は、薬物中毒の治療の方なのです。患者が、厳しい禁断症状が出て、専門治療を受けたいと申し出ても、その治療機関を見つけるのが極めて困難なのです。30年前に、大阪の国立病院に勤務していた時に、外来に今まさに覚せい剤を常習しているのだが、何とか止めたいと思っているので、専門病院を紹介して欲しいと来院した患者がいました。当時、病院の敷地内に厚生省の出先機関である近畿地方医務局があったので、そこの事務官に患者のことを伏せた上で、情報を求めました。その誠実そうな事務官は、日本では治療を要する覚せい剤中毒患者は公式には存在しないことになっているので、公式に認められた治療施設はないと答えました。今は、そこまでひどい状況ではないでしょうが、それほど改善はしていないようです。
結論は、日本では違法薬物に対する罰則は十分効果を果たしているので、治療の充実に対する予算措置と、その専門医を育てるための研修システムの確立が必要だということです。薬物中毒も疾患(病気)であることには変わりはありません。この疾患の原因が違法薬物だということで、罰則だけで攻めても解決にはならないと思います。病気は何らかの希望が無ければ治るものではないのです。