家庭医木戸の現場報告(7)
(JECCS News Letter 2017年7月号掲載)
いつ、どんな風に人生を終えますか?
ジェックス参与 木戸友幸
前回は在宅医療で印象に残った患者さんについて書きました。今回は、それとは別の職場である特別擁護老人施設(特養)で体験したことについて書いてみます。
私の勤務する特養は大阪府下で複数の施設を持っている法人で、私は大坂市内にある一つの施設の管理医師をしています。(2017年4月から、こちらの特養に常勤医として週4日勤務、前回紹介した診療所に週1回非常勤勤務となりました。)この施設の利用者の平均年齢は80代後半です。100歳を超えた人も数人おられます。多くの利用者は、様々な理由で寝たきりに近い状態になり、介護する家族も高齢になり介護が困難になり入所した人たちです。寝たきりという身体的な障害だけでなく、ほとんどの利用者に大なり小なり認知症があり、その内の1割は家族の見分けも不可能な重症の認知症です。
介護保険制度は、2000年に誕生し未だに賛否両論がある制度ですが、在宅医療や介護施設での医療に直接携わるようになってからは、日本でこの制度が成立していなかったら現在どんな混乱が起きていただろうかと思う今日この頃です。
さて、超高齢者で身体障害と認知症を抱えた利用者でその家族も高齢化しているという状況で一番問題になってくることは、病気をいかに治療するかというより、いかにして人生を終えるかということなのです。最近では本人も家族もほぼ例外無く、「延命のための治療は控えてください。」とおっしゃいます。誤嚥性肺炎や尿路感染症(特養で多い発熱原因の上位2疾患)などの時は近くの病院で入院治療し、また施設に戻るというのが一般的です。高齢者であっても、改善する可能性が高い感染症治療は延命治療とは言い難いからです。ところが、90代後半くらいの年齢になると、正常な嚥下そのものが困難になり、頻繁に嚥下性肺炎を起こすようになります。
最近経験した事例をご紹介します。101歳の女性の利用者Aさん。本人は重症認知症で寝たきり。介護者は、70代後半の長男夫婦です。Aさんは、嚥下障害のための誤嚥性肺炎のため、この半年間で3回入院治療を受けています。4回目の発熱で同じ病院を受診した時のことです。その時もレントゲンを撮ると肺炎だったのです。しかし、その時のAさんの状況はいつもより悪く、ほとんど食事も水分も口からは入らなかったのです。病院医師は、「延命治療を望まないのなら、今回のこの状況は寿命がきたということです。入院しても無駄です。特養に戻って看取り医療に徹した方がいいですよ。」と言われたそうです。長男夫婦もその場はそのようにしました。しかし、特養に戻って数日間、少量の水分しか摂らないものの、Aさんは意識だけはしっかりしており、問いかけには反応したのです。そこで、徐々に長男夫婦の気持ちも変化していき、私との面談を希望されました。「先生、やはりこのまま栄養失調と肺炎で母が死んでいくのを黙って見てられません。いつもの病院にはもう受診できないので、どこか他をあたってください。」ということでした。何とか受け入れ病院を探し当て、入院1ヶ月で何と自分の口から食事が少し摂れるまで回復して退院し、特養に戻られたのです。しかし、Aさんは間違いなく近い将来、同じことを繰り返すはずです。ピンピンコロリで人生終えたいと思っている人が多いようですが、世の中、そううまくは行きません。いつの時点で天命と家族が覚悟を決めるかは、まさに神のみぞ知るです。