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医学教育  


家庭医木戸の現場報告(4)
(JECCS News Letter 2016年10月号掲載)
外国人診療

  ジェックス参与 木戸友幸

 JECCSの方針の一つに、国内だけにとどまらず海外にも通用する医療を教育し、実践していくというものがあります。私がJECCSの理事就任を要請された時に、心が動いたのにはこの方針が大きく影響したことは間違いない事実です。何故なら、私のこれまでの経歴はほとんどが家庭医としてのもので、循環器内科は卒業直後の研修医時代に2年間のみしかないのです。しかし、海外での医療ということになると、3年間のブルックリンでの研修医としの体験と、2年半のパリでの家庭医の実践という量質共に十分な経験がありました。

 1983年の夏。ブルックリンでの研修を終え国立大阪病院の内科医兼研修医教育係として30代前半で赴任した時に、上から要請された仕事以外に何か自分でしかできない仕事はないかと日夜病院中を視察して回っていました。しばらくすると、親しくなった総合案内の女性から耳寄りな情報を得ました。国立大阪病院は、谷町4丁目という大阪市内の交通の便のよい立地で、外国人患者がかなり多かったのですが、それらの外国人患者を診療する医師があまりいないということでした。もちろん、国立の総合病院ですから、各科の優秀な医師がそろっていたのですが、日本語の通じない患者となると、進んで診てくれる医師がいなかったということです。そこで、私はすぐさま「私は米国での3年間の診療体験があり、英語での対応は問題ないので、日本語の通じない患者さんが来院したら遠慮なく私に連絡してください。」と先のことも考えずに、答えてしまいました。

 それから、総合案内から外国人診療の依頼で私のポケベル(当時まだ携帯はなかった)が鳴る回数が増えました。といっても、月数回という程度で特に他の仕事に差し支えるようなものではありませんでした。第一号患者であったがどうかは、もう30年以上前のことですから自信がありませんが、初期の患者に商店街でアクセサリーを売って生計を立てているイスラエル人の男性がいました。彼が私の英語は明快で、診察所見や治療をしっかり説明してくれると評価してくれました。実は彼の病気は単なる風邪だったのですが、この評価はうれしかったです。その後、イスラエルから大阪に出稼ぎに来ている彼の親戚が続けて受診してくれました。

 手が黄色くなったと受診したアメリカ人男性、腰痛がひどくなり帰国も考えているフィリピン人女性留学生、他院で風邪と言われたが、症状悪化のため来院したアメリカ人男性、この男性は伝染性単核症でした。このように外国人患者の受診は着実に増えてきました。どの患者にも共通していたのは、異国で精神的にも不安定という心身症的な要素もあり、そこで理解できる言語で納得できる説明を受け病状が改善したということでした。典型的な症例を10名ほど選び、1980年代半ばに、日本プライマリ・ケア学会(現日本プライマリ・ケア連合学会)で「心身症シュミレーション・モデル」という演題で発表しました。

  こういう経緯で外国人診療も私の家庭医としての得意分野としていったのです。国立大阪病院を退職するにあたり、今度は海外在住の日本人の家庭医になるという話が飛び込んできました。パリ在住日本人の診療を依頼されたのです。
 次回は、パリ時代から後の私の異文化医療(パリでは、異国での日本人診療なので)をご紹介しようと思っています。


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木戸友幸
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