総合診療の現在と未来
JIM 9 (4) 1999年に掲載
医療法人木戸医院 木戸友幸
総合診療はプライマリーケア、家庭医療、かかりつけ医制と我が国ではこの十数年の間にさまざまな呼ばれ方をしてきたが、その意味するところは一つで第二次大戦後、
高度に専門化し続けてきた医療への反省として生まれた総合的な医療ということであ る。
筆者は1980年から3年間、厚生省臨床指導医留学制度にてニューヨークで家庭医療学のレジデント研修を受けてから現在に至るまで、総合診療の研修医指導と臨床をさまざまな場(米国、日本、フランス、大学病院、国立病院、私立病院、開業医院)において実践してきている。筆者の立場は米国留学より十数年間は厚生技官、この数年間
は一開業医である。そこで先ず、この筆者の複眼的な視野を利用しつつ、総合診療の 名称の変遷を辿りながらその近過去と現在を述べてみたい。
筆者がその第一号の一人として派遣された厚生省臨床指導医留学制度は、元日本医師会会長、故武見太郎氏のアイデアだと言われている。武見氏は日本の医療の根幹は充実したプライマリーケアにあると考え、厚生省にその指導医を育てることを依頼し、この留学制度が始まったのである。プライマリーケアという名称は1970年代の始めより日野原重明氏を中心に使われるようになっており、プライマリーケア学会も70年代
には設立されていた。しかし、その意味するところは当時あまり理解はされていなかった。
80年代半ばに指導医留学を終えた厚生技官が中心になり「家庭医に関する懇談会」 と銘打った政府諮問懇談会が持たれた。しかし、この懇談会は家庭医を制度化するた
めのものという日本医師会の強い反発があり、さしたる成果を挙げることが出来なかった。この懇談会を契機に「家庭医」という名称そのものに日本医師会が嫌悪を示すよ
うになり、それに変わる名称として「かかりつけ医」が医師会より提唱された。この名称争いのためという訳でもないが、80年代後半より新たな名称、総合診療科を名乗る科が全国の総合病院や大学医学部に出現してきた。90年代に入ると大学医学部に総
合診療科を作るちょっとしたブームが起こる。しかし、その現状は名称だけのところから研修医教育や研究にかなりの成果を挙げているところまで玉石混淆であることは否めない。臨床研修ということにかけては各専門科においてもスタンダードが明確でない我が国であるから、これは総合診療のみの問題ではない。
研究面での状況を見ると、現在では総合診療関係の学会もプライマリーケア学会に加えて、家庭医療学研究会と総合診療研究会とが設立されるようになった。新設の二つ
の研究会は設立が新しいため会員数はまだ少ないが若手会員が中心であるのでこれから伸びるポテンシャルは持っている。
さてこれまで述べてきた我が国の「総合診療」の現状はあくまで総合診療医を育てる機関の話である。育てる機関がまだ設立されたばかりで、それも玉石混淆なのである
から、総合診療プロパーの医師は我が国ではまだまだ数少ない。自らさまざまな場でのトレーニングを求めて独自の総合診療を確立した医師のエピソードに関しては今回
のスター達の報告を参照して欲しい。
次に我が国に総合診療の将来をやや独断的に予測してみたい。その資料として世界の 総合診療の傾向を見てみよう。総合診療を組織的にその国の根幹医療としている国で
はほとんど家庭医療(Family Medicine)をその形態として選択している。その医療 の内容は内科、小児科、小外科その他を含み、家族全体を対象として診療するものである。また従来の内科と違い患者の精神的、心理的な側面にも積極的に注意を払う。この家庭医療を積極的に推し進めている国はイギリス、アメリカ、カナダ、オースト
ラリアなどの英語国、ヨーロッパではデンマーク、スエーデン、ノルウエーの北欧三 国とオランダである。アジアも韓国、台湾、フィリピン、ホンコン、シンガポールな
どがある。これらの国々では全国的に規格化されたレジデント研修制度が敷かれ、そ の研修を終えた家庭医はプライマリーケアの最前線で活躍するシステムが出来ている。
アメリカは十年ほど前までは一般内科と家庭医療が総合診療の覇者を競っていたが、マネージドケアーが台頭してきてからは、医療経済的な側面から家庭医療に軍配が上がったようである。
このように現在世界の趨勢は総合診療=家庭医療にほぼなっていると言える。昨今、医療以外の分野ではグローバル化が叫ばれている日本であるから、少なくとも総合診
療の臨床研修の分野では家庭医療的な研修が主流になってくるように予測される。し かしそれが日本以外の先進諸国(+アジア諸国!)がとっている規格化されたレジデント制度になるのにはまだまだ時間がかかりそうである。それは前述したように我が
国では総合診療以外の専門科でも規格化されたレジデント制は存在しないからである。 むしろ、これはすべての科の臨床研修の問題として取り組んでいかなければならないのであろう。
筆者の意見には現在、総合診療に熱心に取り組んでいる先輩、同輩諸氏からかなりの反論が出そうである。それは当然で、家庭医療は我が国ではこれまで存在しなかったものであるから、総合診療にもっとも近い内科からこの分野に入った人材が多いからである。日本の従来の内科的な考え方は、やはりバイオメデイカルなものが主で、患者の精神、心理的側面あるいはもっと踏み込んで社会的側面が考慮されることは少な
い。また日本の内科の重鎮が提唱しているのはT字型総合診療と言い、一つの深い専門分野を持ちつつ総合的な診療もこなすという診療形態である。しかし、筆者が20年間世界各地のさまざまな医療施設で総合診療に携わった経験からすると、本当に求められる総合診療(医師の側が欲して満足を覚えるものではない!)はT字型ではなく、櫛の歯型の総合診療である。即ち、総合的に標準以上の診療がこなせ、その上で複数
の得意な分野を持っているという診療形態である。この櫛の歯型総合診療の研修を行なうには日本の大学病院は一番不適な研修の場である。したがって、総合診療の研修の場はこれからますます臨床の最前線にある中小病院あるいは診療所に移行していく
と予想される。大学の役割は複数の研修の場のコーデイネーションと総合診療の基礎学問である臨床疫学、行動科学などの研究の場となるであろう。
筆者は現在、開業家庭医として主に活動しているが、大学の総合診療科とも非常勤講師として協力体制を作りつつある。上述した総合診療の近未来予想はこの十年の間に起こると思われるが、筆者の立場を十分生かしながらこの変化に積極的に関っていきたい。