プライマリ.ケア外来での研修
内科臨床研修マニュアル、2001年
医療法人木戸医院 木戸友幸
何故外来教育か?
日本を除く先進諸国では、さまざまな必然性から1970年頃より脱病院化が進み、外来診療がますます重要になってきている。(1)当然、これに伴い、外来診療の教育の必要性も増している。
従来、日本では研修医の研修の場は入院病棟が中心であった。これは大学病院を筆頭に研修施設の大病院では専門医療がなされ、専門医療の場が入院病棟であることが主な理由であろう。これに反し、プライマリ.ケアでは、外来が主な診療の場となっている。したがって、逆に言うと、従来の大病院の入院病棟中心の研修ではプライマリ.ケアの研修は十分には出来ない。(2)こういう理由でプライマリ.ケアの教育の場も自然に外来が中心にならなければならない。筆者が以前米国で受けた家庭医療学(Family
Practice)研修においても外来教育はその研修の大きな柱の一つであっ た。米国の家庭医療学の場合は、家庭医療学センターと呼ばれる独立した外来センターで研修が行われる。(3)独立した外来センターで研修するメリットは、研修医が近い将来、家庭医として自ら診療する場に出来るだけ近い形で研修できることである。
外来の場の違いによる教育方法の工夫
筆者は大学病院内科での2年間の臨床研修の後、米国で3年間の家庭医療学のレジデン ト研修、帰国後10年間の国立病院総合内科での診療と研修医指導、その後2年間のフランス、パリでの総合診療外来の経験を経て現在の開業家庭医に至っている。(4)患者数、スタッフ数、診療スタイル、それに患者の持つ医療文化的背景がまったく異なるさまざまな所での実際の診療の経験から言うと、外来教育はそれを行なう場に臨機応変に合わせたものでなければ意味がない。仮に、無理して背伸びをして”理想的”に見える外来教育を試みたところで、これは実情にそぐわないものであるから真に教育的でないばかりか、教育者側に負担がかかり過ぎ、長続きしない。この提案をネガテイブではなくて、ぜひポジテイブに解釈していただきたい。
例えば、日に30人までの完全予約制の診療をしている外来では、見学できる症例数は少ないが、患者一人当たりにかけることの出来る時間が長いので、インタビューの実際をじっくり学習できる。逆に日に100人の外来では、その数に則した最低限満足してもらえるインタビュー術を学べるし、それだけの数であるから、救急対応を含めたさまざまな体験が出来る可能性もある。こういった意味である。
まず哲学を語りたい
プライマリ.ケア外来で診療している医師が、何を目指して診療しているかを、具体的に研修者にまず説明することが重要である。そのことが理解できていなければ、何百人の患者を見学しようが、教育効果は薄い。多くの研修者は大病院での専門医療中心の研修、即ち、診断の付いてしまっている患者のフォローや、診断を付けるための過程の研修に慣れきっている。しかし、プライマリ.ケア、特に国民皆保険の日本のプライマリ.ケアの現場では真の医学病名はかなりあいまいとしているが、やはり医療を必要としているといった患者層が少なからず存在する。こういう患者層に対して
どう対処するかの答えはどこにも書かれていない。答えの無い問題への対処;日本の教育制度一般でもっともなおざりにされている部分である。この対処にあたっては、
診療医師の哲学がどうしても必要となってくる。しかしここでも、診療の場の相違が患者対応の差を生じることはもちろんである。
開業プライマリ.ケア医の場合は、その地でそれこそ一生診療を続けるわけである。 そのため、それが専門医療の谷間から落ちこぼれて行き場のなくなった患者であっても、それから逃げることなく自らの力で解決方法を模索していくことが必要とされる。
ここでの目標は、治癒というよりもむしろ患者の心の平静あるいは満足感を得ること といった方がいいように思われる。また具体的な診療においても、初診時の何回かを
除いて、必要最小限の検査と投薬でフォローしていくのが望ましい。プラリマリ.ケア医の診療哲学の標準的なものは、こんなところではなかろうか。
具体的な研修内容
入院病棟研修では学べないプライマリ.ケア外来に特異的な事項を中心に述べる。具体的には、インタビュー法、診察法、インフォームドコンセント、服薬指導、生活指導、在宅医療、救急への対処について述べるが、個々の項目のいくつかはこのマニュアルで独立した項になっているので、記述のある程度の重複があるかも知れない。そのため、筆者はあくまでプライマリ.ケアの外来でなければ研修できないことという視点で記述するようにする。
1)インタビュー法
ここで言うメデイカルインタビューは、診療に必要な情報を得るためだけの問診とはかなり異なるものである。詳細は独立した項に譲るが、メデイカルインタビューの本質は、挨拶などを含め、いかに患者の心をつかみ、患者の希望を聴きだすか(解釈モ
デル)ということである。(5)これは、地域に密着したプライマリ.ケア診療では必要度の高い技法である。有能で評判のいい開業医は、昔からそうとは意識せずとも巧みなメデイカルインタビューを行なってきたように思える。冗談を交え、患者を和ませ、上手なたとえ話で理解を助けるといったようなインタビュー術である。診察の横に付いて、これを生で体験してもらうだけでも、研修者には目から鱗がとれる体験になるはずである。しかし、指導者がメデイカルインタビューの理論の概略を学び、
それを診療の直後に研修者に対し、今体験した実例を挙げながら解説すれば、教育効果は倍増する。指導者の学習は、適当なテキストの斜め読みでも十分なことが多い。
何故ならこれは学習というより自ら経験から学んだ知識の追認のようなものであるからである。
2)診察法
日本のプライマリ.ケアの外来での診察においてもっとも特徴的なのは時間的な制約である。短時間で効率良く正確に、しかも生命的な危機を回避できるような身体所見を得る訓練は、北米の研修でもあまり学ぶ機会はない。(診察時間がたっぷりあり、学ぶ必要がないからかも知れないが。)したがって、この日本での外来診療に必要不可欠な、効率的かつ正確な診察手技を研修してもらうことが、もっとも重要な点である。
原則的には、主訴から考えられる疾患の中でもっとも重篤なものに特異的な診察法から優先して行なうというやり方で、これも昔から熟練した開業医がやってきた方法である。例を挙げる。数時間持続する腹痛で来院した患者にまず、かかと落とし(立位でつま先立ちになりかかとからドスンと落ちる。)をしてもらって、それで腹部に痛みが走らなかったら、腹膜刺激症状なしとして通常の腹部診察に移る。発熱と頭痛の患者に、首を前屈させて自らの臍を見てもらう。それが出来れば後部硬直なしとする、といったものである。
診療所研修の利点のもう一つは、多くの患者と短期間に遭遇できるという点である。 これを最大限利用して、特徴的な診察所見を持つ患者に依頼し、研修者に診察してもらう。肺の喘鳴、弁膜症の心雑音、甲状腺腫などが好例である。ベテラン開業医にとってはありふれた所見でも、若い研修医はとってはどれも新鮮な体験になるようである。若い研修医は開業医が思っているほど、病院研修で一般疾患の典型所見の診察を自ら体験していない。これは、彼(彼女)らが研修する大病院にはかなりバイアスのかかった患者しか受診しないからでもある。
3)インフォームドコンセント
インフォームドコンセントもプライマリ.ケアの外来の場では、日本流に工夫をこら した形で行われている。この工夫を体験学習してもらいたい。例えば、慢性肝炎でフォローしている高齢患者に肝癌らしい陰影が腹部エコーで見つかったとしよう。その患者は長年フォローしており、性格もよく分かっている。家族も患者として診ているので顔見知りである。そこで家族とも相談のうえ、癌という言葉は使わず、“悪いものの可能性”と表現することにする。血管造影の副作用についても、家族だけには正確な数字を挙げて説明し、本人には少しぼかした形で説明するといった具合である。恐らくこういうことは日本中の開業医が日頃、普通にやっていることだと思われる。
大きな問題が生じたときのインフォームドコンセントの他に、診察手技の説明や、診断のための検査の勧めなども、厳密に言えばすべてインフォームドコンセントを要する診療行為である。これらは、日本では医療者にあまり厳密に認識されてないようであるが、心あるプライマリ.ケア医は、メデイカルインタビューの中にうまく自然に組み込んで、コンセントをとっている。これは、指導する医師もある程度意識して、練習を積まなければならない。付け焼き刃では滑らかに診療は進まない。したがって、研修医が研修にくる前に意識して練習して日常の外来のルーテイーンとして欲しい。
4)服薬指導
内科系プライマリ.ケア医にとって、薬物療法は治療の要である。入院医療では服薬 しているかどうかの管理は比較的容易であるが、外来の場合、服薬管理はまったくの患者まかせである。ここで患者のコンプライアンス(医師の指導をどれだけ守っているかの度合い)が問われることになる。医療人類学者のクラインマンによると、この
コンプライアンスは医師と患者の思い(解釈モデル)が近ければ上がり、遠ければ下 がると言われている。したがって、効率のよい服薬指導は、患者の解釈モデルを踏まえた上での服薬指導であると言える。降圧剤を飲み始めたら一生飲み続けなければな
らないから飲み始めたくないと思い込んでいる患者に、その誤解を解く説明なしに、 降圧剤を投与しても正確に服薬してもらえる可能性は低い。言い換えると、服薬指導と解釈モデルをうまく引きだすメデイカルインタビューは一連の医療行為なのである。
この服薬指導についても、ベテランのプライマリーケアー医は、上述したようなことをごく自然に行なっているはずである。しかし、これを研修医に指導する際は、ただ
単に見学だけしてもらうより、その理論的背景の解説を付け加える方が教育効果が高 いように思える。 このような、理論に則った服薬指導の他に、診療所の特異性や患者層の特異性から生まれたユニークな服薬指導がある場合は、そういうものもその謂れの説明を付け加えればよい研修の一環になる。例えば、当院では、患者に高齢者が多いのだが、毎回の診察終了時に各々の薬の商品名と簡単な薬効を伝えている。根気はいるが、高齢者にとってはこの方法が一番確実に薬の理解を深めてくれる。
5)生活指導
主に生活習慣病の予防に関する生活指導である。生活指導に関しては、長年その地域でプライマリ.ケアに携わっている医師がもっともその任に適している。何故なら、
その患者を長年にわたってフォローしているから、その患者についてのさまざまな情報に通じているからである。おまけにその地域の特性にも通じており、時にはその家族もよく知っていることもある。生活指導も、食生活や労働状況などに地域性が大い
にあるので、研修医にはその診療の場に合わせたものを指導することに教育的な意味があると思われる。大袈裟に言えば、医学はinternationalなものかも知れないが、
医療、特にプライマリ.ケアはnational あるいはregionalなものであるということの例のいい教育になるだろう。 したがってこの患者指導は、出来るだけ簡単で具体的で、かつその患者に合わせた個別的な指導(一般論を述べるものでなく)であることが望ましい。
6)在宅医療
これも独立した項があるので、詳細はそちらに譲るが、プライマリ.ケアの外来診療を補完する重要な医療形態である。指導のポイントは外来とどう関連しているかの点の理解であると思われる。どういう患者に往診の適応があるか、あるいは在宅医療を
依頼されて、どういう基準でそれを引き受けるかなどを、これまでの実例で説明すると理解が早いようである。即ち、一般論を講義していては、外来研修に来てもらった
意味がないということである。あくまでケーススタデイーにこだわりたい。 在宅医療を長年行なって、最終的に在宅で看取った症例があれば、研修医にその時の介護者と思い出話をしてもらうと、非常にインパクトのある研修になる。
7)救急への対処
内科プライマリ.ケア外来での救急の多くは、慢性疾患でフォローしている患者の救急問題である。これが救急であることをいかに認識し、それにどう対処するかに研修のポイントを置く。
長年、慢性疾患でフォローしている患者では、その疾患の部分の診察しかしないことが多いので、患者からいつもとは変わった訴えがあったり、いつもと少し変わって見えたりした時は必ず系統的な診察をする。高齢者で遠慮深い患者は、かなりの症状があってもそれを訴えないことも多い。したがって、日頃から、変わったことがあれば
遠慮なく訴えるよう指導することが、救急を早く認識するための一法でもある。 プライマリ.ケア外来での救急への対処は、現実的には大部分が二次、あるいは三次ケアーの可能な施設に移送することである。したがってその施設の選び型、その施設への連絡の実際、あるいは救急紹介状の書き方などが、研修事項になる。施設(病院)を選択するだけでなく、今起きている問題に最適の治療を施してくれる科、望むべく
は個人の医師を瞬時に思い起こし、直接、自らが電話し(これもベストは個人の医師 に直接)、転送を依頼する。転送が承諾されれば、紹介状を書くが、これは研修医が病棟で書いている情報満載ものとはまったく異なるものである。数分間で書くき上げ
ないといけないという時間的制限があるので、受け入れ先の知りたい(知ってもらう べき)情報優先の紹介状である。 こういう救急症例に研修医が遭遇するチャンスはプライマリ.ケア外来ではそうは多くはないが、遭遇すれば、彼(彼女)らにとっては恐らく、未知との遭遇であるはずで、受けるインパクトは強烈で教育効果は非常に高いと思われる。
まとめとあとがき
日本でもっともこの国の実情にあったプライマリ.ケア外来診療を行なっているのは、地域の開業医である。したがって、プライマリ.ケア外来研修の場は地域の開業医院が最適であると思われる。大病院の外来でプライマリ.ケア研修を実施せざるを得ない場合も、非常勤でもいいから、第一線の診療所で診療に携わっている(いた)医師を教育スタッフに加えるべきである。開業医院での研修は、確かに研修内容はそれこ
そ千差万別(少し本音を言えば、玉石混交)になる。したがって、いくつかの開業医院で短期研修を行なって、個々の長所、短所(反面教師)を学びとって、それをもってプラマリ.ケア外来研修とするのが、現在のところもっとも現実的な方法かも知れない。教える側の医師の資質としては、十年程度プライマリ.ケア診療に積極的に従事しており、教育に対する動機付けの強い医師なら誰でもいいのではと思われる。何回か研修医に接しているうちに指導医の質も高まってくるであろう。
プライマリ.ケア医師の間でも、日常診療だけではなく若手医師の研修にも積極的に関っていこうという動きが最近出てきている。(6) 現在、このネットワーク
(PCFMネット)に参加している医師の大部分は、これまでのキャリアーで研修医教育に積極的に携わった経験があり、現在プライマリ.ケア診療の第一線で活躍している。
このPCFM ネットが軌道に乗り、全国津々浦々で研修医受入の診療所が増加してくれば日本のプライマリ.ケア研修の質も次第に上がってくるに違いない。
文献
1)濃沼信夫、医療のグローバルスタンダード、ミクス、2000
2)木戸友幸、なぜシマウマ探しに陥るのか、JIM 3 (2): 114-116, 1993
3)木戸友幸、アメリカにおける総合診療、日本医師会誌:1859-1861, 1994
4)http://www.carefriends.com/kido/
5)福井次矢編、メデイカルインタビューマニュアル、インターメデイカ、2000
6)http://www.shonan-inet.or.jp/~uchiyama/PCFM.html